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毎年、3月11日は、なんとなく特別なことをする気にはなれなくて、
あの日と同じように、
朝起きて朝食を食べ、ぼんやりして、
作業場で制作をはじめ、庭を眺め、
昼食後に作業を再開し、
3時前には母屋に戻ってお茶を飲む。
  
そうして何事もなく日が暮れて、平凡な1日が過ぎていく。
 
毎日が特別な日で、
そんなに特別ではないのかもしれない
  
No more Fukushima!
福島を忘れるな
  
あの日、原発事故が起きたことは、忘れようにも忘れられない。
私が暮らす茨城にも放射能が降り、
自宅から30キロ圏内にある東海原発も危ない状況だった。
今でも、よく揺れる。
だから、いつ何が起きてもおかしくないという心構えがある。
でも、もう2度と事故は起きてほしくないし、
その責任は無知すぎた自分にもあって、
足元から、暮らし方を模索し続けたいと感じている。
  
事故後、よくデモで見かけたこのスローガンは、とても正しい。
ただ、当時も今も、この言葉を聞く度に心が痛む。
デモに参加しても、一度も口にすることができなかった。
 
福島市大波は、姉夫婦が自然農という生き方に出会い、
家族になった場所。
その手づくりの暮らしがとても好きで、
田植えや稲刈りの時期に、よく滞在した。
いわき市や郡山市にも家族同然の親しい友人が住んでいて、
福島という言葉を聞くだけで、うれしくなり、
瞬時に毎年吸い込んでいた大波の農園の景色や山並み、
幼かった姪っ子や動物たちの表情、
駅前の商店街、古びたライブハウス、
浜辺や温泉で過ごした時間が脳裏に浮かぶ。
 
震災後は、毎年恒例の盆踊り、そこで出会った愉快すぎる仲間たち、
餃子会館の頑固オヤジ、ソフトクリーム屋や旅館のおばちゃん、
福島から茨城や栃木に移り住んだ友人たちが加わった。
起きたことをきっかけに、
地元や都内の人たちとも新たな繋がりが生まれた。
 
年々、色彩が鮮やかに広がり、深まっていく言葉。
 
東海原発は、再稼働への道を着実に進んでいて、
よく茨城で原発事故が起きたら、と想像する。
そうしたら、私はどう感じるのかな。
忘れたい。もう忘れてほしい。と思う瞬間もあるかもしれない。
当時、自宅の畑の土壌からセシウムが出て、
関西の友人に「いつまで茨城で暮らし続けるの?」と心配された。
とてもありがたかったけれど、なんだか悲しかった。
6年経って、私はここにいて、庭の雑草は元気に伸びている。
  
どんな土地や人、現象に関しても、
私の目に映るものは、ほんの僅かな断片でしかなくて、
これからも、そうなんだろうと思う。
忘れたくないこともあれば、
昔のままの記憶が誰かを傷つけることもある。
失われたものもあるけれど、生まれたものもあり、
多分、すべてが変わり続けている。
私自身も。
だから、できれば顔の見える距離で、
自分なりに関わり続けたいし、発見を積み重ねていきたい。
 
 
長くなっちゃいました。
こんなことを想いつつ、17日のイベントに参加します。

<ヒジノワホームルーム第6回 都市生活者の原発・避難者の原発>
上映会、トークイベント、交流会と盛りだくさんです。
詳しくは→ (Click!) 

その場に集まるいろんな人たちとの時間。
どんな1日になるのかな。
お時間のある方は、ご一緒しましょう。
  
ちなみに上映作品の監督、安孫子さんとは、
福島の檜枝岐村で270年以上受け継がれてきた村歌舞伎を題材にした
ドキュメンタリー「やるべえや」の上映会で、
少しだけお話をしたことがある。
  
「震災後、原発事故を題材にした映像が溢れるなかで、
福島で育まれた文化や伝統にカメラを向けたいと思った」
 
その安孫子監督が、どんな想いで今回の作品を撮られたのか、
いつか伺ってみたいと思う。