文字の大きさ :
| ホーム | うつわ | 自己紹介 | 取り扱い店 | メディア紹介 | リンク | お問い合わせ |
Img_644ae124feabe0b892b301870e737c27
Img_203c4e1dbed0d6267aede1a11628ec86
さて、3日から7日は益子陶器市。いつもの城内坂「じゃりん小径」右奥のテントで、お待ちしていま~す。これからの季節に活躍しそうな鍋用の取り鉢やスープ鉢、暖かい飲み物にぴったりのカップなどを多めに用意しました。もちろん取り皿や盛り鉢、作陶展には出さなかった轆轤ものも、色々ありますよ。
じゃりん小径の場所は、益子観光協会で公開されている陶器市の地図にも掲載されています。こちらが観光協会のページ。→ (Click!)  会場でもあちこちで配布してます。大塚ハニワ店の向かい側、蕎麦屋さんの隣が入り口です。
朝晩冷えるので、暖かくしてお越し下さいね。最終日は、14時頃から片付けが始まるので、お早めにどうぞ~!定番の器などは、my potsのアルバムに掲載しています。良かったらご覧ください。→ (Click!) 
それではお会いできることを楽しみに!!
Img_b2813ebabd9b55b527c950ef08850aca
町の健康診断の結果が来た。貧血以外は異常なし。何故か年々じわじわと身長が伸びてる。まだまだ成長期だな。
歳を重ねる毎に、周りでも病を患う方が増えていて、健やかであることの奇跡を想う日々。
そこの忙しなく動いている君も!年に一度は必ず行ってね。
写真は、作業場の入り口がお気に入りのカマキリ。踏んでしまいそうだから、見つける度に庭に放ってるのに、必ず戻ってくる。
数日見かけず、とうとう諦めたかと思ったら、足場のブロックの中からコンニチハ~♪
Img_2796f84897178d254595e68c4a6a0b58
Img_4da176b463442e7a33cfaf516bc0a602
Img_a8b49195ade98cab267eb73d2909917c
仲間が新たに始めた水戸ドラムサークル。
アスパイヤの森、最高のロケーション。気持ちよかった・・。
初めてお目にかかる方がほとんど。総勢20名以上で、お互いの音を聴きながら、あちこちに置いてある太鼓や、得体のしれない鳴り物を手に取って、思い思いの音を奏でる。
椅子に座るのも地べたに座るのも、移動しながら演奏するのも自由。場所によって音の響き方が違って、みんなの動きを観察するのも面白い。
小さな振動に耳を澄ませたり、誰かが仕掛けた音が主旋律になって、そこにぎゅーっと音が凝縮していったり。
音楽の会話って、ほんと無限だなあ。
個人的には、少年がマイクを使って出していたノイズがかなりツボだった・・。今思い返しても、あれは凄かった!

そして、盛り上がってきたところで、踊れ踊れ~~!との声に、飛び入りダンス。終了後、一緒に踊ってみたい~~と言って下さった方がたくさんいらして、やっぱり音あるところにはダンス。人は踊る生き物なのだ!と再認識。友達が遊びに来る度に最後は汗だくで踊る・・という自宅ダンス会をもう少し広げて、「踊ろう会」を主催できたらいいな。

次回も今からとっても楽しみ。

追伸:ダンスの写真は友達が撮ってくれたもの。素敵な時間をありがとう~!!
Img_cce6df42b052264684bb664e9f388318
Img_1a8afe061cb590a5a9c9cac97764bed8
Img_783de49350bc655eaa0071d2ae68364d
9日間の作陶展、無事終えることが出来ました。秋雨続きのなか、沢山のお客様にお越し頂き、ほんとうに、ありがとうございました。最終日の写真、何枚かアップします。
遠方からはるばる訪れて下さったり、益子や宇都宮周辺から応援に来てくれたり、音遊びやダンスに参加してくれたり。
美味しい差し入れやプレゼントまで・・。
こんな風に、時間を作って下さること、心を寄せて下さること、器を手にして下さること。何度考えても奇跡のように思えてしまう。
これには慣れることなんてないです。ほんとうに圧倒的。
Thank you all soooooo much!!!!

以下、会期中に作陶展のFacebookページに投稿した文章です。

*********

初日は曇りのち雨予報が、やった~晴れた~~!ということで、外でお客さんや友達と美味しい差し入れを頂きつつ、午後は鳴り物遊び&ダンス。最後は、おいおい何しに来たんだってくらい、汗だくに。通りすがりの観光客の方々が手拍子して下さったり、お隣のギャラリーの可愛い少年が、さりげなく参加してくれたりで、楽しかったなあ。
そして、今日も雨脚の強いなか・・・嬉しい。。ほんとうにありがとうございます。色んなお話ができて、とっても素敵な時間でした。
学生の頃から不器用な上に大雑把で、手作業でものを作る暮らしを想像したことすら、なかったけれど、よく授業をサボって表参道まで、てくてく歩いて・・。当時は、今やブランドストリート化している、あの道沿いに茣蓙を敷いて、手づくりのアクセサリーや小物を販売してる人たちがいた時代。
ぶらぶらしているうちに仲良くなって、一緒に座り込んで、道行く人を眺めたり、足を止めてくれた人と話をしたり、楽器らしきものを鳴らしてみたり、ハミングしたりして1日を過ごしていました。
そのうち日が暮れて、そろそろ帰ろっか、またね~。と、特に約束をするわけでもなく、それぞれの場所に戻ってく。
そんな風景や時間が、何故かとても愛しくて、好きでした。
あの感覚の延長線上に、器づくりもあるんだなあと、よく思います。

**********

なんでもないような日常にすべてがある。
そんな日常にある、焼き物という営み、これからも大事に育てていきたいな。
またお会いできる日を楽しみにしています。
感謝!
Img_ff8aaea483b1af6de4023966b0d92698
Img_82e25a74346d8d870b6dc4ed418e1509
Img_b00c8738bb5b34d2daa1f6a4fadda6e7
ただいま、ラストの窯焚き中。

実は、私の窯は笠間の山奥に移住してから、1000度から1200度の一番大事な温度帯に、特に窯をいじったわけでもないのに、毎回温度計の数値が一気に上がるという怪奇現象に見舞われていた。
窯屋さんやベテランの陶芸家仲間に相談したり、実際に窯焚き中に、見に来て貰ったこともあったけれど、窯の操作にも、熱電対や温度計にも問題はなく、「こんな現象、今まで何十年も仕事してきて、聴いたことない。土地の磁場とか、特定の温度になると電磁波が発生するとか!?」とお手上げ状態。

人間、何事にも慣れるもんで、ここ6,7年は「お、来たか」と自分なりの対処法を覚えて、焼いていたのだけれど、何故かこの作陶展の窯から、その現象がピタッとなくなった。何かが落ちたのかと喜ぶのもつかの間、今度はバーナーやガスの流れの不具合が発生。

窯屋のよっちゃんが駆けつけてくれて、バーナーのクリーニングで一時良くなったと思ったら、またもや微妙な現象が。色々原因はありそうだけど、解明にも修理にも時間がない。
品物はほとんど揃ってるし、ラストの一部は諦めるか・・とも思ったけど、とりあえず、教わった通りにバーナーの汚れを再度吹き飛ばして、窯詰め前に火の出具合を確認し、やっぱ焼くべ!と決めた。

「焼き物はギャンブルだもんね~!」とよっちゃんに言ったら、「ガス窯は、本来そういう窯じゃないんだけどな。笑」ー確かに。吉と出るか凶と出るか?いけいけどんどん。現在1186度。今回は火も調子良さそうだし、大丈夫そうな予感?

というわけで、ラストスパート格闘しております。
写真は怪奇の窯&新しく作ったシンプルな多目的カップ。こんがり美味しそうに焼き上がりました。
他にも定番・新作含めて、ざっと250点ぐらいにはなりそうです。

初日の17日は、サルサダンサーの友達が来るので、お客さんの流れを見つつ、合間にみんなで踊りを教わったりして遊べたらいいな~と計画中!お楽しみに!!
Img_d698a5fbfa78a542bc3632e9c4779256
Img_5735d987f2a87442365d387bdecdc170
アンサンブルズ東京。曇りのち雨予報が、ぴーかん晴れ。百発百中、そろそろ晴れ女として、表彰されても良い気がするわ
福島で生まれ、東京駅前に広げられた大風呂敷の上で、高校時代の親友、美香と再会。so happy to see my dear little Mika & her sweet family again××
街と人と暮らしの音
夏の終わりの美しい1日
Img_a208010f540498e6eb0fa6b1000c9d2f
陶器市に欠かさず​顔を見せてくれていた新井陽一郎さんが、逝ってしまった。

旅好きの新井さんは、奥さんの和子さんと、とても仲が良くて、
ご夫婦で、国内外の山に登り、その土地の手作りのものを少しずつ集めていた。
​春と秋、​私のテントにふらりと現れると、
毎回、茶系のぐい呑みを​1つ選んで、「今回は、これを」と求めてくださっていた​。

柔らかな声と物腰。
すぐに好きになった。

姉家族が群馬で暮らしていた頃、安中のご自宅にお邪魔すると、
書斎の飾り棚に、あちこちで出逢った美しい陶器​があり、
その一画に、私のぐい呑みも、澄ました顔で鎮座していた。
「わ~!こんな風に置いてくださってる​なんて~!!」と驚くと、
一度も使わずに、手にとっては眺めているという。
そして、器の内側に浮かび上がる​鉄分が銀河系みたい​だと、
愛しそうに話をしてくださった。
​​​
昨年の秋、今年の春と、いらっしゃらなかった。
どこか旅にでも出かけたのかな

なんだか胸がざわざわした。
ざわざわしたまま、作陶展の案内状を書いた。

今朝、窯に火を入れた後に届いた一枚の葉書き。
長い長い旅に出かけてしまった、と知る。

星の綺麗な夜。
もうすぐ器が焼き上がる。

新井さん、ほんとうにほんとうに、ありがとう
Img_24f6dcbc82b4ad7e7f1b8c3f47587b00
Img_91f585e886c0e55d55e4cacbd0112212
9月17日(土)から25日(日)まで、宇都宮のギャラリー「さんて」さんで、手びねりの器を中心に、作陶展を開催することになりました。定番のもの、新しいもの。普段使いの焼き物です。

場所は、大谷資料館( (Click!) )や平和観音広場のすぐ近く。
大谷資料館に初めて足を運んだとき、宇都宮の街に、こんな地下空間があったのか~~!と感激した記憶があります。
まるで日本じゃないみたい。神殿みたい。
よく声が響きます。びっくりするぐらい涼しいです。
観光がてら、遊びに来てくれたら嬉しいなあ。

お店の前は歩行者天国で、お天気が良かったら、地べたに座って歌い出したくなるような、そんな空気が流れています。行ったことないけどキューバみたい。
お弁当持っていって、外で食べようかな。誰か鳴りもの持ってこないかな~。ギターとか太鼓とか。そういえば、前回は、仲間とお客さんとアフリカンを踊ったんだった。今回はライブは企画してないけど、いつでもなんでもウェルカムです。何か楽しいことをやりたい。
と気づいたら、器の話じゃなくなってた。
以下、私のサイト: (Click!)  の自己紹介を一部転載します。

*******

焼き物に出逢ってから10数年。
陶芸教室で手びねり体験に参加し、分厚くて重い、湯呑みらしき器を作ったのが最初です。
とても上手とは言えない出来でしたが、その体験自体は美しいもので、私の生活を思わぬ方向に導いてくれました。
器を作り始めてから、目に映るあらゆる色彩や造形が、今までと比べようもないくらい、鮮やかに圧倒的に感じられるようになりました。
それまで目もくれなかった工事現場の土や、道端に転がっている石までが、奥深く感じられ、新しい発見や喜びがあります。
昔から、自然の営みと人の営みが交わる場所が好きです。
自然に手を添えさせて貰っているだけで、特別なことをしなくても、すべてがここにある、と思えて、嬉しくなります。
そして、日々の営みの中から生まれた器が、今まで全く接点のなかった方々の暮らしの一部になること。何年経っても不思議で、想像するだけで元気を貰えます。

**********

今も、この気持ちは変わらず、自分のなかにあります。
さっき数えてみたら、土いじりを始めて15年目、みたい。
浮気性でサボってばかりだけど、私にとって、帰る場所のようなものなのかな。ほんとうに細々と、のんびり続けて、今があります。
17日と18日、25日は会場におります。もしかしたら、間の祝日も・・?その時は、またお知らせしますね!
ふら~~っと遊びに来てください。
お待ちしています☆

追伸1:イベントページ作りました。 (Click!) 
追伸2:お車でお越しの際は、DM裏の市営駐車場をご利用ください~。
Img_9ef77dbf90b0445eb8285606aee54d7b
Img_8465397f882b72f673caa1c49cc2fc14
Img_65b3d5e09fcad65a6175ad9bbc08a499
お盆休み、たまたま一緒のマンションに住んでいて、学年は違うけれど、同じ幼稚園と小学生に通い、家族ぐるみで仲良しだった友人達と、何十年かぶりに再会。

学校の帰り道、原っぱ、砂場やブランコ。
缶蹴りや鉄棒、地域の子どもコーラス、発明した色んな遊び。
幼い頃、一緒に目にした景色、吸い込んだ空気が鮮やかに蘇り、時空の境目にいるような感覚が続いたまま、福島へ。

2011年に生まれた大風呂敷。大きさも柄も、素材もバラバラの布たちが縫い合わさった空間。目にするたびに、こんな風景を紡いでいきたいと思う。
毎年少しずつ形を変え、続いているお祭り。帰れる時間。年々、県外・県内の顔見知りも増えて、再会しては踊り、「また来年!」と別れる。

ダンケシェーンのソフトクリーム、地元のお兄ちゃんたちとの陽気な時間。飯坂温泉。旅館のおばちゃんから頂いた桃。餃子会館の頑固おやじ。二層ラーメン。新たに見つけたお店。
やっぱり福島が、大好きです。

そして帰宅後、水戸で「標的の村」の上映会。
「闘い」というものから遠いところある、そんな暮らしを営んでいる人たちが、闘わざるを得ない理不尽さ。
地域の人たちが、「座り込みをする人たち」ではなく、そこで生活するひとりひとりとして描かれていて、観る前と後では世界が変わる。

終盤に、ゲート前の車中で歌い始める女性の声が忘れられない。
「音楽に政治を持ちこむな」って言葉がSNSに溢れた時があったけれど、あの歌を聴いたら、そんな意味づけは吹っ飛ぶんじゃないかな。

アフリカンダンサーの友人が、いつだったか、
「ギニアでは踊るのがdoじゃなくてbeなんだよね」と話してくれたことを思い出した。
暮らしのなかで生まれた喜怒哀楽が、そのまま音になる、踊りになる。福島の盆踊りも、きっとそうだから、毎年帰りたくなるのだと思う。

遠方から足を運んでくれたり、体調が悪いのに駆けつけてくれたり。
2週間の準備期間で、どうなるやら!?と心配していたけれど、たくさんのお客さんにご来場いただいて、上映後の会話も温かかったなあ。
高江の支援活動を続けている鈴木祥子は、親しい友人で、毎回トークの依頼をする度に「行くよ!」と即答してくれる。
今回は急な依頼だったのに、なんと滞在中の山梨から駆けつけてくれた。
彼女の行動力と、持続力、明るさとバイタリティには、いつも圧倒される。そして、会えばボケとツッコミで笑いが止まらなくなる。
根がアホなんだよなあ~。

幼馴染会も、盆踊りも、上映会も
変わらないもの、変わり続けるもの
関わり続けることで、見えてくるものだったり、
直接観る、聴く、話す、身体で感じることの大切さをじわーっと感じさせてくれる時間でありました。

感謝。
Img_70766935f47ff01227e00e7063d7de32
6月19日に益子で、報道写真家、福島菊次郎さんを追ったドキュメンタリー映画「ニッポンの嘘」上映、
映画のプロデューサー橋本佳子さん×生前の福島菊次郎さんと交友のあった女優、木内みどりさんのトークイベント、そして、菊次郎さんの写真展と、盛りだくさんのイベントを主催します。
詳細はFBイベントページ→ (Click!) 

そのイベントに向けて読んだ菊次郎さんの著作「菊次郎と海」。
なんて言ったらいいか。言葉では追い付けそうもないけれど、紹介文を書いてみました。
とにかく、素晴らしい一冊。心からお勧めします。
是非会場で手に取ってみてください。

**********


「反権力を貫いた報道写真家」
「反骨の生涯を生き抜いた伝説のカメラマン」

メディアでは、このように形容されることが多い菊次郎さん。
私自身、映画や写真を観て、まず圧倒されたのが、表に出ないものを自分の目で観続け、傍観者としてではなく、生身の人間として現場に身を置き、関わり続けた姿勢と覚悟だった。

何が彼をここまで突き動かしたのか
どうやったら、こんな風に生きられるのか
或いは、何故、このように生きざるを得なかったのか-

「菊次郎の海」は、大正から昭和、平成に至る時代のなかで、14回住居を転々とし、”流転”の人生歩んだ福島菊次郎さんの半生記だ。
もちろん、菊次郎さんがレンズ越しに捉えた この国の歴史-戦中・戦後の体験と、その体験に裏打ちされた思想や疑問が、随所に綴られている。けれど、最も印象的だったのは、菊次郎さんという一人の人間の柔らかい部分が、全編に溢れ出していることだった。

例えば、漁師の家に生まれ、海辺で育った大正期の少年時代を回想する章。
2歳のときに父親を亡くし、育ての親だったお婆ちゃんに聴かせてもらった昔話。
食事のおかずを捕るために磯へ通い、釣り上げた魚の美味しさ。
山で夢中になって追いかけた虫、鳥たち。
記憶にない父親の骨を初めて見たときの鮮明な印象。
生死が紙一重の漁師の営み。
菊次郎さんのなかにある、自然や生き物に対する瑞々しい感性や畏敬の念は、この少年時代に育まれたのかもしれない。

妻と別れ、3人の子どもと共に東京で暮らし始めた頃のエピソード。
小学1年生だった娘の紀子さんが、いじめられて泣いて帰ってくると、「めそめそするな、やられたらやり返せ」と、男の急所を蹴る技を伝授。
学校の先生に、「難しい問題を教えようとすると、自分でやるからいいと拒む。それに男の子と喧嘩して泣かせている。可愛げがない。」と非難され、「“やったな”と嬉しくなった。」
このくだりには、思わず吹き出した。

プロ写真家として、「日本の戦後」を追い続けた菊次郎さんは、やがて国の在り方と自身の写真に対して希望を失い、62歳のときに無人島に移り住む決意をする。

旅立ちが迫ったある夜、3人の子どもたちを集め、こう語りかける。
「島に行ったら、いつ何が起きるか分からん。顔を合わせるのも今夜が最後になるかもしれない。
お父さんの身勝手で、みんなにさんざん苦労かけてすまなかった。
苦しいことや、悲しいこと、我慢ならなかったことがたくさんあったと思う。今夜はその話を全部聞きたい。」

無人島で始まった波乱万丈な自給自足生活と最後のパートナーとなる沙英子さんの出会いと別れ。その中で沸き起こる心の葛藤が赤裸々に綴られているのも、この本の読みどころだと思う。

「人を批判する者は、みずからもその資格を問われる。」
「僕は職能的なジャーナリストである以前に、この国の主権者であり、自立をめざす一人の人間である。政治屋や官僚たちが国家の前途を危うくする無法な行為に走れば、それを糾す権利と責任を背負っている。」

晩年、闘病生活のなかで、命を削るように実現させた「戦争責任展」や「写真資料館」の設立。80代で書き始めた一連の著作への想い。

これまでの歩みの中で、受けた傷、負わせた傷。
そのすべてを不器用なまでに頑固に引き受けていく姿に、1枚1枚の写真が重なり、奥行きが増していく。同時に菊次郎さんの柔らかい感受性こそが、その生き方の源だったのだと思うと、なんとも言い難い気持ちになる。

左右の中指と人差し指が、2センチ離れているという職人の手。
撮り始めたら5年、10年、30年の長丁場が当たり前だったという。
「長年カメラを握り締め、シャッターを切るうちに骨が曲がった。」
写真を通して、否応なく思想や人間性も変えられた、とも。

そして、写真家になって一番良かったことは、
「人間として成熟できたことです」