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陶器市、足を運んでくれた皆様、ありがとうございます!!
ありがとう、では全然足りないです!!どう表したら良いのか・・。

今回の陶器市開催は、益子町にとっても窯業関係者にとっても、一種の賭けだったと思う。
益子や笠間で自身が被災し、窯や器が壊れてしまった人達、
更に家族や親戚が東北で被災し、実家を失くした人達も沢山参加していた。
それぞれの想いの中で制作され、焼かれた器。
多分、器を作ることで救われ、元気づけられていた私みたいな人もいるはず。
立ち止まってしまうと、心の中に渦巻いているものに負けそうになる。
やることがある、やれることがある、そのことに背中を押されていた。
でも、お客さん、来てくれるのかな? そのことを皆、心配していた。

が、しかし! 蓋を開けたら陶器市、大盛況!!

ピーク時には行きも帰りも大渋滞。平日でさえお客さんがい~っぱい。
常連さん、友達、仲間達、そして、新たなお客さんも沢山来てくれた。
お釣りはいらないから、今後も頑張ってと声をかけて下さったり、
(お断りしたら、支援金に回してほしいと言って下さったので、有難くそうさせて頂きました)
知り合いにカフェを経営している方がいるので、そこで個展をしないかと、
話を持ちかけて下さったり・・。どんなに勇気を頂いたか。

また、驚いたことに、常連さんの素敵なご夫婦が姉が移住する群馬県の同じ地域在住だったり、
新たなお客様もその地域からいらしていたりで、姉の話をしたら、寄って下さい!とのこと。
はい!迷わずそうさせて頂きます。心強い!

そして、器を通して被災地を支援する動き活発化。
ひょうたんのランプなどを制作している光房みちの吉田弘道君と、
代表メンバー、矢川士郎君らが立ち上げた「手づくり支援プロジェクト」。
被災地の仮設住宅へ栃木の手づくりの食器を直接届けるという長期支援ネットワーク。
とにかく二人の情熱、気持ちが素晴らしくて、賛同者が続々と増えている。
この活動の詳しい内容は、

<手づくり支援プロジェクト>
 (Click!) で。

活動のための支援金も募集中なので、
賛同して下さる方は是非是非、ほんの少しでも協力して貰えたら有難いです。
そして、この活動の存在を周りの方達にも広めて頂ければ幸いです。

被災地支援に関しては、色んな形があると思う。
支援する側にもそれぞれの生活や守らなければならないものがある。
やはり無理せずに出来るだけ長く続ける方法を探る必要があるなあと感じていて、
私にとっては、器を通しての支援が一番の方法だという結論に至ったので、
このプロジェクトに仲間達と参加できるのは、嬉しいことです。

震災で、3月に予定されていた企画展が流れてしまった陶ISMでも、
7月には仙台でチャリティ企画展なども計画されていて、
被災地に無償で器を送るという案も出ている。
こちらの運営メンバーの行動力にも脱帽です。
メンバーの多くは被災しているというのに、
震災後すぐに益子町で窯業関係者の支援ネットワークを発足させ、
窯の貸し借りなどの支援体制を整えたり、話し合いの場を作ったり・・。
是非是非応援して下さい。

<陶ISM>
 (Click!) 


写真は、陶器市期間中、一緒にテントを出しているお仲間のダンディーな陶芸家、
能登実登利さんから頂いたカード。
能登さんの娘さん家族もいわきで被災し、能登さん、心労で痩せてしまった。
今回の陶器市、福島からの姉家族が初めて遊びに来たのだけれど、
(これまでは農作業の忙しい時期と重なるので、来れなかった)
姉家族にもとてもよくして下さって。

裏には、こんな言葉が。
読んだら、涙があふれた。
能登さんにも、心からありがとう。

********


よるのやみに ほろぶしろ
あさのひかりに よみがえるしろ

大地のぬくもり 空の青
花のはじらい 平和を願うこころ
すべて つつみこんだ つよいしろ

かなしみのいろ あこがれのいろ
白い闇に 白く輝く
白い器を
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先日私の益子の家族でもあり、焼き物の師匠でもある鈴木秀男さん、
そして奥さんの紀子さんに会いに行ってきた。

震災後の電話で、窯が2つとも全壊したとは聞いていたけれど、
本当に跡形もなく、ただのレンガの山になり果てていた。(写真上)
更に驚いたのは、家も相当のダメージを受けていたこと・・。
土台になっていた大谷石が動いて、壁のあちこちに亀裂が入り、
隙間があいてしまっていた。
居間の壁は特に酷くて、大きな余震があったら崩れてしまうだろう。
建て直す生活の余裕などあるはずもなく、
大工さんに酷いところを修理して貰い、だましだまし住むとのこと。

そんな中でも、淡々と窯作りに励む秀男氏。(写真中央)
現在半分完成したところ。(写真下)

人の想いにとても敏感で、人間好き。
そして、大の庭好き、自然好き。
とても厳しく、とてつもなく優しい。
何事にも動じない人のように見えるけれど、達観してるわけではない。
今回の震災でも色んなことを感じたはずだ。
でも、そういうことは、あまり口にしない。
彼の美学ゆえ、だと思う。

焼き物だけでなく、人生の師でもあります。

窯作りの手伝いに行ったつもりが、久々に会ったものだから、
話ばっかりしてしまったあ・・。次回は黙々と作業しますぞ!!
とにかく窯が無事完成し、窯焚きが成功することを祈る。
余震、お願いだから来ないで!

益子町も笠間も陶器市には沢山のお客さんが来て下さったけれど、
全壊した窯を前にし、町の今後を考えると不安に襲われる。
出来ることを一つずつやっていこうと想う。

さて、今月は益子のもえぎさんの企画展に出展します。
もえぎさんも頑張ってるなあ。
出展依頼をして下さったスタッフさんが、
「余震に気をつけて下さいね。器はあるだけで良いですから」と、
気遣って下さった。
お店も大変な時期。作り手も頑張らねば。


<もえぎ COOL展>

● 日時:5月28日(土)から6月9日(木)まで

● 場所:もえぎ城内坂店 1F フォーシーズンギャラリー
  
  栃木県芳賀郡益子町城内坂150
  TEL:0285-72-6003  
  もえぎホームページ: (Click!) 


そして、翻訳に携わったNHKの宇宙関連番組も告知します。
今回は火星探査車、スピリット&オポチュニティの冒険物語です。
色んな試練に見舞われても諦めず、
限界の限界まで挑むNASAの探査チームの素晴らしさ。
翻訳と格闘していた時期が遠い昔のような錯覚に陥るけれど、
今だからこそ余計に、あの生き生きしたメンバーの表情が見たい。
お暇な方は是非ご覧くだされ!!!


<火星探査車 7年の冒険 ~スピリットとオポチュニティ-~>

● 日時:5月17日(火)午後9時~(BSプレミアム)

● 内容:2004年、NASAが2機の探査機を火星に送り込んだ。「スピリット」と「オポチュニティー」と名付けられた双子の探査車は、90日間という当初の予定を大幅に超え、7年間に渡って数々の困難を乗り越え、水、そして生命の痕跡を追い求めてきた。火星探査最前線に挑み続けた2機の探査車の苦難と発見の7年間の冒険物語。
番組ホームページ: (Click!) 
木曜日から、いわきの有紀ちゃん宅に泊まりつつ、ボランティアをしている。
初日はお昼前に到着し、お昼から夕方まで日本ユニバの倉庫にて、物資の仕分け、整理、
避難所の方々や被災者の方々の対応などをした。
ボランティア保険には出る前に笠間で入ってきたけれど、こちらでもすぐに入れた。
ユニバの倉庫のスタッフ、皆気さくで楽しい人たち。
一度登録して顔見知りになると、地元のボランティア・県外問わず、
ぷらっとやってきて活動をしている感じ。
ただし、私の印象では、倉庫はそこまで人不足という感じではなかった。
曜日にも拠るので、事前に問い合わせていくのが良いかもしれません。
日本ユニバ: (Click!) 

二日目は、9時にいわき市社会福祉協議会の中にある、いわき市災害救援ボランティアセンターへ。
 (Click!) 
まず受付開始→ボランティアのオリエンテーション(5分ほど)→
ボランティアのマッチング(依頼主からの仕事の割り振り)→
敷地内で必要な資材のレンタルをして現地へ→現場で作業開始→
16時にセンターに戻り資材を返却→報告書作成→解散の流れ。

組織の運営がかなりしっかりしていて、気配りが行き届いているという印象だった。
私に割り当てられた仕事は、沿岸部の半倒壊したお米屋さんの二階の整理・掃除。
大阪出身で現在いわき在住の女性二人と有紀ちゃん、私の4人で現地へ。

お米屋さんは目の前が海で、周りの家もほとんどが倒壊している。
全壊ではなくとも、一階がぶち抜けてしまっている家ばかり。
このお宅も2階への鉄筋の階段が途中までしかなく、ぐらぐらしたまま。
2階は足の踏み場もなく、ものが散乱していた。
少しずつ片付けて、ものを仕分けして、ダンボールに詰めたり、
使うものを棚にしまったりして、落ち着いたところで掃除をした。
黙々と作業に没頭して、3分の2ぐらいがどうにか終わった。

休憩時に旦那さんが「地元の方ですか?」と話しかけてくれた。
ご家族は皆無事だったそうだけれど、お客さんの半分を失い、
「3人の子ども、高齢の親を抱えての生活を考えると、頑張らなきゃと思うのだけれど、
時折本当に不安になってしまってね。 躁鬱になりそうですよ~!」と冗談のように笑っていた。

作業を終えた後、海岸沿いを走ってセンターに戻った。
被害の大きかった薄磯海岸、豊間海岸、久ノ浜海岸・・
映像でしか見たことのなかった景色が目の前にあった。 2ヶ月経ったというのに、
まだこの状態なのだと有紀ちゃん。 平日だったこともあって、
ボランティアもチラホラ見かける程度で、ぜんぜん足りていないという印象だった。

瓦礫撤去、泥かきなど、肉体労働もあるけれど、避難所で子どもと遊ぶ、
室内で散乱した衣類をたたむ、部屋のお掃除などなど、本当にいろんな作業があって、
肉体労働は無理かもという人でも、 適材適所、何かしらやれることがあるなあと感じた。

この日の夜、すごいサプライズが。
幼馴染のマイミクの「いち」、隔週で精力的に東北の被災地を回っているのだけれど、
偶然いわきにいることが判明!
お仲間と3人でユニバで物資輸送ボランティアをしていたそうで、夕飯で合流!!!
超久々に会ってハグハグ。お仲間の2人が、方々で大活躍のベーシストさん&
松岡修三ばり?のテニスプレーヤーだとのことで、被災地での活動についてだけでなく、
生活、仕事の話から音楽、 はたまた西と東でアフリカ人の体の構造は違う!!といった
マニアックな話まで、ちゃんこ鍋囲みながら皆でわいわい盛り上がった。

彼女の行動力、知的好奇心には本当に刺激を受けるし、
お仲間の二人もとても魅力的な人たちだった。
自分が知らないことが沢山ある、ということに、感動する。出会いに感謝。
うれしくなって写真撮影。

ちなみに日中情報収集をしていたら、こんなサイトが。
今度宮城の山元町に行く予定なのだけれど、
(山元町は、7割が壊滅的という甚大な被害にもかかわらず、
小さな町でボランティアがあまり集まっていない。詳しくは、また後日の日記で。)
ここ、ボランティアの人たちに格安で温泉宿を提供し、
宿からボランティアセンターまでへの送迎もしている。
宮城に行きたくても、テント泊や車泊は心配という方、是非以下のサイトを見てみて下さい。

ふらっとーほく: (Click!) 

あと、被災地の復興を応援するため、東京から石巻までの新幹線の料金が、
往復1万円になったと、 いちから聞いた。
これで日帰りで行こう!と思う人も増えるかもとのこと。すばらしい。

ボランティアも長期戦。
気力だけでは続けられないと思う。
自分なりのやり方、ペースで、息抜きもしつつ・・続けたい。
先程福島から無事帰宅しました。

今日のいわきは快晴の活動日和で、8時半過ぎにボランティアセンターへ。
すると、わお~!既に150人から200人のボランティアの方達が列をなしていた。
週末は全国各地から集まるんだね!!凄いね!と二人で顔を見合わせてニッコリ。

今回は被害の大きかった久ノ浜の電気屋さんへ派遣された。
作業は、津波にのまれた商品、工具等の錆び・砂落とし・洗浄。

久ノ浜では、地震、津波だけでなく、津波直後に火災が発生。
水道は勿論ストップしたため、消防車の余震の合間をぬっての消火活動に頼るしかなく、
多くの家屋が全焼した。更に、原発から40キロという距離による風評被害に悩まされ、
震災後の物資不足、 人手不足によって、孤立化していた地域だ。

一帯は、ほとんどが瓦礫の山。骨組みだけの残骸。
その中に奇跡的に津波と火災を生き延びたIさんの電気屋さんがぽつんと立っていた。
何故この建物だけがこんなに綺麗に残されたのか・・本当に驚いた。
電気屋さんを経営されていたIさんご夫婦は60代のとても魅力的なお二人。
とにかく笑顔が本当に暖かい。
威勢の良い大らかそうな奥さん。
そして、多分その奥さんの尻に引かれている、とことん優しそうな旦那様!

挨拶もそこそこに、旦那さんの工具の赤錆び落としに取りかかる。
道具フェチな私にとって、とても奥深い作業だった。
錆びをごしごし磨いて落として、見えてくる道具の美しさ。使い手の心。
気持ちが洗われる。

見なれたペンチやドライバーだけでなく、謎の道具も沢山。
アンティークの木箱みたいな、何とも味のある砂まみれの箱を開けてみると、
これ、一体何だろう!?
想像力をかきたてられるミニチュアの工具が綺麗に並べられていて、
皆、小さすぎて磨きにくいけど、すごくカッコイイ!
何だか妙に懐かしいような、昭和の香りがするのだ。

とうとう、こらえきれなくて、「あの~。これ何に使うんですか?」と聞くと、
旦那さん「俺もよく分かんねえんだよなあ・・」「え。ええ~!?」
・・・というのも、磨いたものの半分は、旦那さんの普段の工具ではなく、
先代の店主、電気だけでなく時計も扱っていたお父さんの形見だとのこと。
お父さんは時計を作る職人さんでもあったそうだ。納得!!

「道具は、使いものにならないかもと思っても、捨てられなくてねえ。
流されちゃったのもあるんだけど、見つかったのだけでも錆び落としして、
オイル塗れば使えると思うし、親父の形見の道具も綺麗に残しておきたいんだわ」と旦那さん。

作業の合間に震災後の話をしてくださった。
この近辺では過去に大きな地震があっても、津波の被害はないに等しく、
毎回、ご近所さんと「ほんじゃ、測ってみっか~」と浜辺に出て、
津波を定規で測りに行く程度だったそう。
だから、今回も津波警報が出ても避難するつもりはなかった。
けれど、丁度消防隊員の方が呼びかけに来たので、避難すっか~と、
家族に声をかけ、高台へ。飼っていた犬は、津波は来ないだろうからと繋いだままだった。
第二波が引いた後に自宅に戻ってみると、お店は床上まで浸水はしたが無事、
お店の裏側にあった家はかなりやられたけど、2階は難を逃れていた。
そして、2階に上がってみると、何と!飼い犬が座って待っていた。
首輪が奇跡的に取れて、自力で2階に上がり、津波に流されずに済んでいたという。

しかし、その後Iさんの自宅に火の手が迫り、自宅は家族の目の前で全焼。

「火事でもう駄目だ・・と思った時、何を持って逃げたと思う?」と聞かれて、
「う~ん・・・アルバムとか・・かなあ?」と応えると、
旦那さん、にま~っと笑って「テ・レ・ビ!!」
地デジに備えて大型の液晶テレビを買ったばかりだったのだという。
「息子には、後で散々恨み事言われてねえ・・・」
「それ、多分一生言われ続けるでしょうね・・」と皆で笑った。

午後になって旦那さんは、ご近所に頼まれた仕事があるからと挨拶をしに来てくれた。
工具の錆び落としがほとんど終わり、それを眺めて、本当に嬉しそうな表情。
私も、とても嬉しくなった。

仕事終わりの前に奥さんが来てくれて、ひとしきり話をした。
今後商売を続けるのは難しいし、お店はもう閉めるつもりだそう。

「あの人はね、時間が出来ると工具を磨いていて、もうそれ見たら、私ムカついちゃって、
全部瓦礫の方にぶん投げちゃったこともあったの!でもねえ、やりたいんだろうねえ。
近所は皆焼けたり流されたりしたのに、このお店だけ残って、
それだけでもすごく恵まれていると思うんだ。だから頑張らなくちゃって思う。
震災後、避難所から仮設住宅に移ったんだけど、仮設住宅に入る方が気持ちが滅入ったの。
滅入って血圧が急激にあがっちゃって、ここに戻って、お店の2階に寝泊まりするようになってね。
こんな瓦礫の山の中でも、やっぱり安心するし、落ち着くのよ。
被災地以外ではあまり伝わっていないと思うけれど、皆そうだと思う。
ただ、今までの場所、普段の生活に戻りたいだけなんだよね。」

我々が車に乗り込むと、「来てくれてありがとう。気をつけて帰るんだよ~」と、
何度も大きく手を振って送り出してくれた。
また会いに来たい。

センターに戻ると、午前中のマッチングで話をした富山出身のおばちゃんに声をかけられた。
今日は物資の仕分けをしたとのこと。
彼女、多分50代ぐらいかな。一人で富山から車でやってきたのだ。
富山弁のすんごく楽しくて飾らない元気印のおばちゃんで、
「あたしね、お勉強させて貰おうと思って、今回来させて貰ったの!」という。
富山では災害が少なくて、災害時にどんなことが起きるか、どう対応するべきか、
災害後何が出来るのか、そういうことを知りたくて、少しでも現地を見て、
周りに広めたいと思ってとのこと。凄いおばちゃんだなあ・・と感心していると、
「でもね、それだけじゃなくて、実は富山では姑の介護をしているんだけどね、
少しいなくなってやって、旦那にどれだけ私がいないと大変か、思い知らせてやろうと思って。」
有紀ちゃんと思わず吹き出してしまった。
パワフルおばちゃんに握手で送りだされて有紀ちゃん宅へ帰宅。

その後、湯本温泉で今回初の温泉入浴。
ここでも東京やつくばから来たおじ様、お兄さんと知り合い、情報交換。
それぞれ一人でぷらっと来たそうだ。
これからもどこかで会える予感。

福島は姉や友達との繋がりもあって、身近な土地ではあったけれど、
こうして被災した人達だけでなく、全国各地の人達と出会う中で、更に愛しい土地になった。
多分被災地へボランティアに行った皆が感じることなんじゃないかなと思う。
出会うことで、被災地が、「被災地」ではなく、体温のある生身の存在になる。
その土地の名前を聞けば、沢山の人達の表情が浮かぶ。
ボランティアに行く、というよりも、皆に会って一緒に時間を過ごしたいという気持ちになる。

沢山の元気を貰った。
明日からは本業。がんばっぺ~
追記!!お役立ち情報。

現地のボランティアセンターに、要請されて現地に入るという証明書を出して貰えば、
地元の市役所の防災安全課や災害担当の部署などで、高速料金が無料になる
「災害派遣等従事車両証明書」を発行して貰えます。
とにかく移動に一番お金がかかるので、これ、ほんとお勧めです!!

ボランティアに関する情報は、いわきでのボランティアの詳細、
2回に分けて詳しく綴りましたので、参考に読んで頂ければ幸いです。
来週は、縁あって宮城県の山元町に行くことになった。
先週のいわきボランティア日誌に書いた、車両証明書も役場で取得できて、
準備が整いつつある。

陶器市の窯焚きが終わってから、ボランティアをするなら、
あまり報道されていなかったり、原発の風評被害で人手が足りていない場所を探そうと、
情報収集していた。

偶然にも、陶器市で器を買って頂いて以来、
懇意にさせて頂いている素敵なご夫婦の奥様のご実家が山元町。
全体の7割が壊滅するという被害の大きさにも関わらず、
小さな町のため報道されず、復興作業が進んでいないとのこと・・。

その後、現地のことを調べていたら、ミクシィで山元町へのボランティア支援を
必死に訴えてるYちゃんという女性と出会って、メールのやりとりが始まった。
平日は50人~60人程しか集まらない時もあるそうで、
県外・県内問わず、まだまだ募集中だとのこと。

山元町ボランティアセンターのサイト: (Click!) 

彼女の被災地ボランティアに関するブログを読んで、感銘を受けた。
本人は、読む人達に嫌な想いをさせてしまうのではと、気にしている様子だったのだけれど、
良かったら使って下さいと、了承を得たので添付します。Yちゃん、ありがとう。
そして、山元町近辺の情報を快く提供して下さったAさん、感謝です!


********

「生半可な気持ちで来ないでほしい。」
Kさんのお友達が、阪神淡路大震災にあわれたときに、一番思ったことだって。
25日間ボランティアさせてもらって いま私も、同じように思います。

山元を知らない沢山の方が応援しに駆けつけてくださっています。ありがとう。

でも、本当に本当に助かるのは、 まず自分で調べて山元の情報を得て、
移動の手段や活動の場所もしっかりしっかり調べてきてくれる方
現地に到着してからの活動が明確で、すぐ活動できるだけ計画がしっかりされてる方

現地で、道をきかれたり、何したら良いか迷われたり...
そういう方、 山元を思って来て下さるお気持ち、ほんっと暖かくて私たちは嬉しいです(*^_^*)

でもたぶん..町の運営で忙しく動いている職員にとっては、有難迷惑です。

しかもそれが一人じゃなくみんながみんな.. 現地を混乱させる恐れがあります。
職員は、町の中のことを回すのに本当に必死で働いています。
被災地を知りたいという興味本位で来ていただいても、
個人がマスコミのように職員から状況を聞き出すなど..難しいことです。

ただ..
私は、皆さんに、被災地に来て被災地を感じてもらいたい気持ちはあるんです。
ご自分で ご自分のために。
良いか悪いかはわかんない。私の想いですが

自衛隊の方々は、まだまだ行方不明の方の捜索や、果てしない瓦礫撤去に奮闘してくださってます。
地元のみんなでさえ、自衛隊さんの邪魔にならないように..って
自宅の片付けに行くのも自粛されてる方もいます。

むやみに復旧活動中のところへ足を運ぶことは、やめてほしい。
だけど.. カンボジアの子どもじゃないけど
忘れないでほしい。

同じ日本で起きたこと。
皆さんにもいつか起こるかもしれない身近ないこと。
二度と繰り返してはいけない反省点も沢山あります。

誰に話し聴くよりテレビ見るより、
一人の日本人として被災地に来て、自分で見て、感じてほしい。

そんで
感じて、自分にできること、見つけてほしい。

Kさんも言っていたけれど、被災地を感じて帰り、
被災地以外に住む自分の家族を守る備えをすることだって、大事な仕事だと思います。

人のためになることって、簡単じゃないです。
本当にためになってるかなんて分からないし。
まだ見もしないもの.. それを心配し、想い、被災者のためになる事をしよう考えたって..

たいてい、ズレがあります 笑  私もそうだったから\(^O^)/

やっぱり、まずはじめて被災地へ行かれる方。継続的な支援を考えてくださっている方。
何か活動を起こす前に..企画する前に.. まず現地を感じにきてください
なーんにもいりません 何が必要か感じにきてください。

ただ、興味本位で来られる方の被災地見物だけは、本当に迷惑です。
やめてください。

ボランティアは.. 自己責任。

でも、 自己満足で終わらないよう*
必要な場所に必要な支援を..よろしくお願いしますo(^-^)o

必要なことは頼る
要らないものは要らない

私たちのためにも皆さんのためにも..ハッキリした道がほしい。

被災者と支援者が 手をつないで 歩いていく道を
迷わず前に進める道を!

山元町で育ち、被災者の家族..そして支援する側でもある私が
感じた範囲で..感じたままに伝えていきたいなと思っています(^^)

何度も言いますが みんなみんな..感謝の気持ちでいっぱい。

山元町は、まだまだみなさんの力をお借りしながらの生活が続きます。

どうかご理解のうえ、応援よろしくお願いします(*^^*)
応援してもらってる分、頑張って向き合って生きてかなきゃって思う

********
山元町は福島県との県境にある農業の町。
震災後、海岸から3キロ地点にまで津波が到達し、沿岸部を中心に壊滅的な被害を受けた。
5月23日現在の宮城県HPによれば、亡くなった方の数は669人。行方不明の方は72人。
特産品であるいちごの農家はほぼ全滅してしまった。

早朝5時過ぎに茨城を出て、凡そ4時間で山元町のボランティアセンターに到着。
一日目は、センターに居合わせたメンバーで、
津波の被害にあった住宅街の通りに積まれている泥の入った土のうを軽トラに載せて、
一箇所に移動させるという作業に従事。
水分の多いものもあって、かなりの重労働だったけど、アフリカンダンスのおかげか??
腰痛にもならず、何とかこなせた。まだまだ使えるぜ、この体!!
とにかく皆本当によく動くし、真剣かつユーモアのある心根の良い人達。
掛け声かけながらリレー形式で運んだり、チームワークも抜群で、
滞在期間中は一緒に活動させて貰うことに。

夕方、山元町に行くきっかけを作って下さったAさんご夫婦のお兄様、
Yさんが山元町役場で働いていらっしゃるということで、ご挨拶に伺った。
瞳の美しい方だった。
妹さんの奥様もとても綺麗な瞳の持ち主で、あ、やはり兄妹だなあ、似てらっしゃるなあと感じた。
Yさんは、お仕事中の突然の訪問にも関わらず、山元町の被害状況について
地図を観ながら詳しく話して下さった。亡くなった方々のことも。
その瞳に一杯涙がたまっていた。
「最近涙もろくなってしまいましてね」と少し笑って、
何度も「来て下さって、ありがとうございます。」と言って下さった。

その後、沿岸部を車で走り、歩いた。
ほんとうに何もかもが流されてしまっていた。
何もかも。
そんな光景が延々と続く。

瓦礫の山からの復興。この時代に、誰がこんな状況を想像出来ただろう?
何もない光景にショックを受けるというよりも、 これはもう、
皆がそれぞれ出来ることを見つけて、やるしかない。
とにかくやろうと、その想いが一層強くなった。

翌日は農家の老夫婦の農地の瓦礫撤去。
寡黙なおじいちゃんと、チャキチャキのよく働くおばあちゃん。
広大な敷地に、津波によって流されてきた家屋の残骸から生活用品までが、散乱していた。
それを一つ一つ拾って一輪車で運び、一箇所に集める。
若い人達に任せれば良いのに、おじいちゃんおばあちゃんもじっとしてはいられない様子で、
一緒に作業をしていた。
「塩害で田んぼを再開するには何年もかかるかもしれないけど、瓦礫さえなくしておけば、
いつかまた始められるから」。

70代という年齢で、こんなに大きな災害に出くわしても、気負いなくそう言える。
今までも、そうやって生きてきたんだろう、そして、これからもそうやって生きて行くんだろう。
自然相手に生きている人達に共通すること。それはあまり文句を言わないこと。
起こったことを受け入れてやれることをやろう、とすることかもしれない。
見習うべきところが、本当に沢山ある。

お弁当まで用意して下さったのに、 休憩時間にもしきりにお八つや飲み物を勧めるおばあちゃん。
さぞかし美人さんだっただろうなあと思わせるお顔立ちで、笑顔になると少女のよう。
思わず昔はどんな感じだったのかなあと想像してしまう。
お茶を頂きながら、隣に座ってひとしきり話をした。
「農業一筋で生きてきたからねえ。着飾ったり、お洒落したりなんてことは一切なかったね。
綺麗な洋服着てる人観て、羨ましいなあって思ったこともあったの。」
「おばあちゃん、今も素敵ですよ」と言ったら、「そうかねえ?」とにっこり。

一日一緒にいて、うちのおばあちゃんに似てるなあ、農家の娘だからかなあ。
じっとしていられなくて、いつも動いているところとか、とにかく何でも食べろ食べろ、
持っていけと勧めて、こちらがイエスと言うまで絶対引かないところとか・・と、
内心微笑ましく思っていたら、おばあちゃんに
「お姉さん、うちの親戚の娘にそっくりなんだよねえ。他人のそら似ってって言うけど、
本当にこんなこともあるんだねえ」と嬉しそうに言われた。
何だか私も嬉しかった。

ご夫婦の暖かいもてなしもあって、皆がとても和やかに活動できた一日だった。
中でも皆のツボは、おばあちゃんが耳の遠いおじいちゃんを呼ぶ時のかけ声であった。

おばあちゃん:「ほお~~~!」(注:フクロウが遠吠えするような声です)
おじいちゃん:「・・・・・・」
おばあちゃん:「ほお~~~!」
おじいちゃん:「・・・・・・」

一同:「・・・・・」

おじいちゃん、全然聴こえてないし。

皆で後で思いだして爆笑。
今も何度も思い出しては笑ってしまう・・。
巷でマニアックに流行らせよう。「ほお~~~~!」

作業が済んで車に乗り込む前に、おばあちゃんが、
既に色々頂いてお腹一杯だったため、「後で頂きますから」とお断りしていたお菓子を
「あんた、これこれ!忘れてるよ」と小走りに持ってきてくれた。
こんな所も、私のおばあちゃんにそっくりだ。

瓦礫のなくなった農地。
田植えをしている二人を想像した。
澄んだ水、青々とした苗、蛙の鳴き声、田んぼに映る山、空。

その時にまたここに来られたらと思う。

3日目は、いちご農家のご夫婦のビニールハウスや周辺のゴミや瓦礫の撤去作業。
この日は他に私よりも年配の女性が2人いたので、女性扱いという恩恵を受けることになり、
作業自体は男性陣に申し訳ないぐらい楽だった。
ランチは仲間の軽トラの後ろに載せて貰って近くのスーパーへ。風が気持ち良かった。

休憩時間に、「書いておいて」と一冊のノートが回ってきた。
ご夫婦へのメッセージを書いているのかなあと思ったら、名前と住所を記して欲しいとのこと。
何でだろうと思ったら、ご主人が「ビニールハウスではまだ塩害もあって栽培は出来ないけれど、
試しにプランターで栽培するつもりで、それは販売するつもりはないから、
うまく出来たら皆さんのところに届けたいので、楽しみに待っていて下さい。」と言って下さった。
この言葉には本当にじんときた。

3日間、あっという間だった。もっともっといたかった。
人手はまだまだ足りていない。
隣町の亘理町に比べても、山元町は1カ月ほど復興活動が遅れているとのこと。
いわきでは側溝の泥かきなどの作業をよくボランティアさんがやっている姿を見かけたけれど、
山元はそこまでも到達していない。
まだ瓦礫や泥が沢山あって、側溝の上にも集められた瓦礫がたまっている。
我々が参加した時の平日は、ざっと観たところでも、50人いるかいないかという雰囲気だった。
次はもっと人を集めて行きたい。

3日間、共に活動した現地のメンバー。素敵な人達だった。

阪神淡路大震災を体験した我らがリーダー、お父ちゃん的存在の大塚さん。
還暦とは思えない体力に脱帽。そして、紅一点の私をさりげなく気遣ってくれる心優しさに、
ありがとう。交わした会話、忘れません。
島根から宮城入りし、既に一ヶ月間復興活動に携わっている逞しい佐藤さん。
時折真顔で言う冗談がかなりツボだった。とても実直な方。
秘密主義なため、皆で恐らく島根県からの指名手配犯だろうと推測していたんだけど・・。
茨城に逃げることがあれば、かくまうから是非とも寄って欲しい。
お隣の亘理町出身で震災後仕事をしながら地元近辺のボランティアを続けている渡辺さん。
真顔とあどけない笑い顔のギャップにやられた!次回は亘理町にも寄らせて貰いたい。
今後も末永く応援しています。
同じく地元で実家が農家、少年のような大学四年生の南條君。いじられ役の愛されキャラ。
卒業した農作業を手伝いながらお勤めをするとのこと。彼の健やかな姿には、希望を感じた。
そして、2日目から加わって下さった石田さん。
頭の白タオルが様になる、大らかさが全身からにじみ出ているような方。
側にいるだけで安心感がある。出身地聞いて妙に納得。北海道苫小牧!
タオル&ゴーグル&マスクの怪しい日焼け跡を気になさっていたけど、取れたかな。


過酷な状況の中でも生きようとしている人達がいて、
それを応援したい人達の気持ちが全国各地から集まっていて、皆が生きるエネルギーを交換してる。
人と人との関わりの原点みたいなもの、その大きさ、強さを感じた。

朝・夕と車窓から観た山元町の美しい田園風景。山々の連なり。
美しくて心が洗われた。

私、やっぱりこの国が好きだな。
この国の人達が好きだな。

そう思わせてくれた山元町に感謝です。

日本の原風景が被災地全域に一日も早く蘇りますように。