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今年は庭の紫陽花がとても綺麗。
涼しげだな~。

9月の17日から25日まで、小山で企画展を開催することに。
ギャラリーのオーナーが、個展でもグループ展示でも、
自由にやって貰って構わないと言って下さって、
会場がとても広いのと、あまり時間がないのとで、
グループ展に決定♪
普段から素敵だな~と想っている作家さん達に声をかけたら、
皆さん快くOKして下さって。
陶芸だけでなく、グリーンアレンジメント、染織、写真・・
分野の違う作家さんとの初コラボ!いや~楽しくなりそう。

詳細が決まり次第、まだお知らせします!
是非遊びにいらして下さい。期間中に連休が2つありますから♪
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5月末に訪れた山元町へ再び。

現地で前回一緒に活動したメンバーとは、ずっと連絡を取り合っていた。
あれから更に北へ向かい、支援活動を続けていた島根の佐藤眞ちゃんが
亘理町に戻っているというので、山元で合流しようということに。
当日ボランティアセンターに到着すると、何と眞ちゃんが亘理町の渡辺さん、
角田市の南條君にも声をかけてくれていて、3人との再会が実現。
目が合った時の皆の笑顔、嬉しかった。

1日目は商店を営んでいた個人宅で、野ざらしになっていた木材や商品・生活用品などを
設置されたビニールハウスの中に運ぶという作業に従事。
ボラセンでは、チーム分けの後リーダーを決めるのだけれども、
満場一致でベテランの眞ちゃんを指名。
新たに山形から山元に通い続けているキシマさんが加わり、炎天下の中、汗だくで運搬。
南條君が「クソあちー!クソあちー!」と連発しているのが笑えた。
しかし、皆がヘロヘロになりかけているにも関わらず、
なかなかリーダーからの「休憩」の一言が出ない。
しばらくして、「あのーリーダー。そろそろ・・?」と打診すると、
「え?あ、そうした方が良いですかね・・?」と全くピンと来ていない様子で、
「自分的には、今日はかなり楽だなあと思っていたんですが。」
「・・・・・。」

我々は、自衛隊なみの体力を備えている人物をリーダーに指名するという、
致命的な人選ミスを犯していたのであった・・。

午後からは更に人員が増えて、予定していた作業は終了。
家の軒下に置かれていたものも整理することが出来て、お家の方がとても喜んで下さった。

残念ながら、渡辺さんと南條君とは一日でお別れ。
渡辺さんはお仕事、南條君は公務員試験の勉強で普段は忙しいらしく、
今回は我々に会えるということもあって、わざわざ来てくれたのだ。
本当にありがとう。

夕方、山元町役場のまちづくり整備課に勤めていらっしゃるYさんに再びご挨拶に伺った。
山元町の総面積64km²の38%に当たる24 km²が津波の被害を受け、
現在、避難指示解除区域が5km²、立入許容区域が4km²、
残る1 km²は依然として避難指示区域に指定されているとのこと。
大きな瓦礫は片付いて、家屋の解体・撤去作業が7月中旬頃から始まる予定。
農地復旧に向けた作業は、農水省の代行で宮城県が進めることになっている。
長期戦になるため、来年度どの程度の復旧が見込めるかは不明で、
新しいまちづくりはまだまだこれから。
ボランティアセンターでも、支援依頼件数は以前に比べると減ってきてはいるけれど、
避難解除に応じて今後も長期的な支援が必要になるという話だった。

山元町の役場では、今、全国各地から応援のスタッフが集まって、業務に当たっている。
中でも宮崎県は、昨年、畜産農家が口蹄疫の被害を受けた際に
宮城からの支援を受けたこともあって、宮城県の復興に力を入れてくれているらしい。
Yさんは、「役場でも宮崎弁が飛び交っていて面白いですよ、訪れた市民と話す時も、
皆さんお国の言葉で堂々と話されていてご立派ですよ~!
すごくバイタリティのある方達で、我々も励まされています。」と笑っていた。
Yさん、前よりも顔色が良く、終始笑顔でホッとした・・。
これからも色んな困難があると思うけれど、応援し続けていきたいと思う。

2日目は、山元町のボランティアセンターの定休日だったので、
以前からミクシィで連絡を取り合っていた山元町のゆかちゃんちにお邪魔して、
写真の洗浄をお手伝いさせて貰うことに決定。この日のことは、次の日記で改めて。

3日目は、イチゴ農家の菊地さんご夫婦のお宅で、農地のゴミ集めとハウスの掃除・整理。
再び眞ちゃんとボラセンで待ち合わせ、「今日は誰と組むのかな~」と思っていたら、
何と、前日Yさんが話していた宮崎チームと一緒に作業することに。
Yさんの話の通り、皆さんとてもエネルギッシュな楽しい方々で、
夜勤明けだというのに、「空いた時間で、現場の支援にも入ってるんですよ~」と和気あいあい。
確かに作業している最中に宮崎弁が聴こえてくると、何だかすごく元気が出る!

農地のゴミ集めは比較的早い段階で終わり、
男性陣がハウスの中のすべての台車を4,5人がかりで外に出し、中の泥かきを開始。
女性陣は津波で汚れてしまった台車の掃除に取り掛かった。
本来は、ハウスの中にレールが敷いてあって、台車をその上で移動させる仕組みになっている。
けれど、津波でレールが流されてしまい、見つかったものもほとんど曲がってしまった上に、
ハウスの中に残ったものは泥まみれ。
奥さんは、どう手をつけて良いのか途方にくれてしまい、
ドアを閉めたまま中を見ないようにしていたとのこと。

しかし、人の手というのは凄いもんだ。
男性陣の連携プレーでハウスの泥は綺麗に除去され、曲がったレールも金槌で叩いたり、
知恵を出し合ってどうにか修復。
最後は旦那さんも加わってレールをハウスの中に敷き直す。
終了時間を過ぎていたにも関わらず、皆が、最後まで終わらせたいという気持ちでいた。

そして、遂にレールの設置が完了。
皆で台車を運びこみ、せーの!でレールの上を滑らせる。
気持ちが良くて、思わず歓声が上がる。
最後の台車を入れ終わると、自然に拍手が沸き起こった。
奥さんが「まさか、ここまで出来るとは思わなかった!本当にありがとうございます!!」と、
満面の笑みで手を叩いている姿を見て、皆にっこり。いい光景だった。

日本人の生まれ持った性質なんだろうか。
支援活動をして毎回思うのは、皆が労力を惜しまず丁寧に作業をするということ。
汚れ一つ落とすことにしても、恐らくまたすぐに汚れてしまうような状況のものでも、
隅々まで綺麗にするし、誰に言われたわけでもないのに、
使い手のことをちゃんと考えて収納していて、気配りを忘れない。

感心を通り越して、感動する。

ボランティアセンターに戻って、眞ちゃんと談笑。
島根の家族には「いい加減戻って、仕事しろ!」と言われているそうだけど、
お盆だけ帰省して、また戻ってくるとのこと。
再会を約束して車に乗り込むと、彼は着替え用のパンツを振りながら見送ってくれた!

帰る前に、支援に入らせて貰った農家の岩佐さん宅に挨拶がてら器を届けに行った。
(岩佐さんのことは (Click!)  #petitccで)
おばあちゃんが「あれまあ!あれまあ!!よく覚えていてくれたね~!
気にかけてくれたんだ、嬉しいねえ~!!」と大喜びで出迎えてくれた。
私も嬉しくて、思わず肩をぎゅっと抱きしめてしまった。
おじいちゃんも相変わらずのマイペースっぷりで、元気そう。
地盤沈下の影響で、農地には水が溜まってしまっていたけれど、
敷地内の瓦礫はすべて綺麗に撤去されていて、お庭には百合やギボウシの花が咲いていた。

おばあちゃんにお茶を勧められて、「もうすぐに帰らないといけないから、大丈夫よ」と断ると、
「待ってて、これこれ、持ってきなさい!」と例のごとくお菓子の袋を握らされた。
そして、車が見えなくなるまで、ず~っとず~っと手を振ってくれた。

山元との繋がり。皆との繋がり。
これからもずっと続いて行く、そんな予感がする。
ゆかちゃんとの縁は、ミクシィから始まった。
陶器市後に山元町に行こうと決めて、情報収集する中で、
山元町への支援を訴えている彼女の日記に行きついたのがきっかけだった。

一度も会ったことがなかったけれど、彼女の日記を読んだり、
メールのやりとりの中で、通じ合うものを感じていた。
この状況の中でも、大事なものを見失わず、少しずつ出来ることに取り組もうとしている姿。
気付かされたことを生かそうとする気持ち。
その真摯な姿に勇気を貰っていた。

待ち合わせた駅に向かう途中、ゆかちゃんから「チャリに乗った女を探して♪」とのメールが。
田園風景の中に佇む小さな駅。自転車の傍で微笑むゆかちゃんを見つけた。
家はすぐ近くだからと自転車で先導してくれて、車でゆっくりと後を追う。
道の角を曲がる度にこちらを振り返って笑顔。その姿に胸がキュンとしてしまった。
惚れてまうやろ~コラーッ!!

ゆかちゃんのご家族は山元の津波で家を失い、隣町の角田市に引っ越した。
静かな住宅街にある家の軒先で、
お母さんの敏枝さんとゆかちゃんと共に写真の洗浄に取り掛かる。
泥にまみれてしまった写真を1枚1枚アルバムから剥がして洗う。
中には画像がほとんど残らないものもあった。
「少しでも残れば、写真を撮った時の気持ちが思い出せる。
その手掛かりになるだけで良いと思ってるから、気にしないでね。」と敏枝さん。

敏枝さんや旦那さんの若かりし頃の写真、ゆかちゃんや弟さんの幼い姿、成長の記録。
「わ、弟さんのセミヌードだ~!(注:赤ちゃんの時の入浴写真です。)」
「これは七五三かな?」などと和気あいあいと作業をしていたら、
おばあちゃんが毎週頼んでいるというヤクルトのお姉さんが現れた。

見なれない我々の顔を見て、「写真を洗ってるんですね。この辺の方ですか?」
茨城から来たと答えると、「皆さん遠くからいらして下さって・・本当にありがとうございます。」
そして、帰りに「こんなものしかないけれど、良かったら食べて下さい」と
ヨーグルトを持ってきて下さった。

袋を差し出した彼女の目を見上げると、涙が溢れていた。
言葉もなく、ずっと涙がぽろぽろぽろぽろ頬を伝って流れていた。
私よりも年配の方なのに、まるで小さな子どものように頼りなげな姿で・・。
しばらく一緒に泣いた。そして、最後は泣き笑いになって、手を振って別れた。
ヤクルトのお姉さんも以前は山元に住んでいて、その頃からの長い付き合いだという。

お昼は敏枝さんが用意してくれて、おばあちゃんも一緒に美味しく頂いた。
ゆかちゃんの家は代々農家なのだけれども、農地の被害は勿論、
蓄えていたお米もすべて流されてしまった。
でも、津波警報が出てすぐに家族で車で避難して、皆無事だった。
敏枝さんが普段から車に防災グッズを積んでいたおかげで、最低限必要なものは揃っていた。
普段からの備え、本当に大事だなと感じた。

ゆかちゃんは、震災当時は静岡の大好きな職場で働いていたのだけれど、
退職して山元への戻る道を選び、今は社会福祉協議会で臨時職員として働いている。
その日も午後からはお仕事というので、外に出てお見送り。
たった3時間という短い時間しか一緒にいられなかったけど、
その時間に言葉以上のものを受け取った。初めて会った気がしなくて、とっても愛しくて。
抱き合って、また会おうと約束した。

その後、家に戻って敏枝さんと話をした。
敏枝さんが今まで感じてきた沢山のこと。
喜び、悲しみ、悔しさ、希望、これまでの出会い、経験を通して学んできたこと。
ゆかちゃんの素直なところは、間違いなく敏枝さん譲りだと思う。
真っ直ぐで知らず知らずに頑張りすぎちゃうところも。

敏枝さんも生活を手作りすることが大好きな人で、中でも裁縫が好きで、
ミシンを使っている時、幸せで幸せでたまらない気持ちになるのだと言う。
ガーデニング、陶芸、そしてターシャ・テューダー好きという共通項もあって、話が膨らむ。
自然と、福島に住んでいた姉達の生活の話になった。

7年かけて家族が育ててきた生活、風景、環境の美しさ、愛しさ。
大波の光景を想い浮かべながら話していたら、涙が出てきてしまった。
震災後から今まで、敢えて詳しく話さずにいたこと。
思い出さないように封印していた景色だったからかもしれない。

気付いたら、敏枝さんがふわっと肩を抱いてくれていた。
「一杯我慢してきたんだね・・。でも、大丈夫、私達みんな、大丈夫。守られてるから。」
そして、「ちょっと後ろ向いて」と言われて、何かと思ったら、
肩をゆっくりさすって、マッサージしてくれた。
「これね、私結構上手なの。避難所でもね、色んな人にしていたの。」

敏枝さんの手の温もりが身体全体に伝わってきた。
そして、とめどなく涙が出た。
その時初めて、私自身も震災や原発事故に傷ついていた、ということに気付かされた。
私にとっても、福島、東北は大好きな土地。
そして、日本の原風景を支えている人達の営みを心から愛しく想って生きてきた。
今まで自分自身は大した被害を受けていないし、
しっかりしなきゃという気持ちがあったのかもしれない。
でも、私自身も物凄く救いを必要としていたんだ。
そして、被災地で無心に肉体労働をし、出会うことによって救われてきたんだと思う。
敏枝さんのおかげで、そのことをやっと認められるようになった気がした。

震災後、周りの多くの人達が「自分達は被災していないから、頑張らなきゃ」
「自分の悩みなんて贅沢だし、弱音吐いてちゃダメ」と罪悪感を抱き、
頑張りすぎている姿を目の当たりにしていた。
そんな風に想う必要は全くない。
皆それぞれの生活があって、守るべきものがあって、喜びもあれば、
些細なことでイライラしたり、愚痴ったりすることだってある。
それが生活というもので、生きるということで。それで良いんだと思う。
そう何度も言葉にしてきたのに、なかなかそうはなれないのも人間なのかもしれない。

語らずとも、存在自体で自分の内面に働きかけ、
意識していなかった部分を引き出してくれる人たち。

今回、ゆかちゃんと敏枝さんに出会って、自分の中で色んな変化があった。
そして、その変化が今の自分の日常、人との関わりにも繋がっていて、
大切にしたいものが見えてきたように思う。そして、それを行動に移す勇気を貰えた。
ありがとう。

導かれている、生かされている、と改めて想う。

皆のそれぞれの日常、それぞれの想いが守られていきますように。
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先週、手づくり支援プロジェクトのスタッフと共に3泊4日で岩手県山田町へ行ってきた。
初日、最終日は移動、中日2日間で現地の仮設住宅の方々や、罹災者の方々に向けて
無料陶器市を開催するという企画。

この模様、明日29日(金)のNHK首都圏ネットワーク18時から放送されることに。
ちなみに茨城は首都圏のはずなのに見られず、私はまた友達に録画してもらう残念な予定・・・。
(当日のニュース内容によって延期の可能性有りです。)

陶器市は、開始時間の2時間前から住民の方々が列を作り始め、2日間共に大盛況で、
3000以上あった器は、あっという間に300以下に。

開催した場所は海の見える高台の公園のようなスペースで、高台の下に広がる街は壊滅状態だった。
津波後に火災が発生し、被害が更に拡大したのだ。
すぐ近くに住んでいた被災者の方が、「あそこに家があったんだ」と指をさして教えてくれた。
震災から4カ月以上経って、道路沿いは綺麗になってきたけれど、
未だに建物の上に車が乗ったままだったり、瓦礫が散乱している地域もあり、言葉が出なくなる。
開催中に震度4強の地震があり津波警報が出た。
車が次々と高台を目指して眼下を走っていく。
幸いすぐに解除されたけれど、しばらくは警報の音がずっと頭の中を鳴り響いているようだった。

会場では沢山の出会いに恵まれた。
「益子焼、前から好きで集めていたんだけど、全部流されちゃった」と、
愛しそうに器を手に取って下さる方。
数に限りがあるので、1世帯につき湯呑2つ、お茶碗2つ、小皿2つの限定だったのだけれど、
「見るだけでも楽しいから」と2日目も足を運んで下さった方。
山田町観光協会や現地に応援にいらしている神奈川県警の方々まで見に来て下さったり。

人間には、それぞれの長年かけて育ててきた生活がある。
そして、今回の震災で、多くの生活が失われた。
仮設住宅に入れても、支給されるものは皆と同じ規定のもの。
自分で作る、自分で選ぶ、という私達が普段何気なくしていることが難しい。

このプロジェクトを立ち上げた吉田君は、岩手出身で、学生時代を宮城で過ごした。
毎日の生活で使うもの、お茶碗一つでも良いから、
自分が好きだなあって思える手作りのものを選んで、それで食事をする。
些細なことかもしれないけれど、そういう所から日常を少しでも取り戻して、
ほんの一瞬でも明るい気持ちになれたらと、この支援を立ち上げた。

現地で私の器をお持ち帰り頂いた女性から、今日、お手紙が届いた。
今年1月に旦那さんを亡くされ、一人で暮らしている中、震災にあった。
震災後、初めて新しく手にした器が私の湯のみで、嬉しくて毎日美味しくお茶を飲んでいる、
いつか陶芸をやってみたいと話していたチャレンジ精神旺盛な旦那さんを思い出しながら、
大切に使わせて貰いたい。
まだまだ心の整理がつかないけれど、元気に生活していきたいと綴られていた。
何度も繰り返し読んだ。

今回、至らない部分、反省したことも沢山あったし、支援の在り方を改めて考えさせられた。
気付いたこと、感じたことを次に生かして行こうと思う。
現地レポートの写真、サイトでご覧になれます。
手づくり支援プロジェクト: (Click!) 

最後になってしまったけれど、
このプロジェクトに賛同し、ご支援頂いた皆様に心からお礼申し上げます。
そして、今後も息の長い支援を続けたいと思っているので、是非応援して下さい。
どうぞ宜しくお願いします。