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新たな畑
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稲刈り。自然農はすべて手作業
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この瑞々しさ!
岡山に移住した姉達に逢いに行ってきた。

何故か姉妹揃って過疎地の田舎好き。
長女が通う学校の全校生徒は24人。
裏の山で自分たちで育てた野菜で給食を作っていたりで、
校長先生も教頭先生も素敵な方たちだそう。
そして、お隣に住んでいる老夫婦にも、
とても良くして頂いている様子。

新しい畑を観たときは、何とも言えない気持ちになった。

自然から戴き自然に還すというシンプルな生活。
人の生き物としての原点であり、
現代社会の最先端のように感じる。
そこに立っているだけで、先祖代々、
人がまだ自然と同義であった世界に想いが広がる。

姉たちの生き方は私の誇り。

久々に逢った姪っ子は大喜びで、別れ際には号泣・・・。
名残惜しい滞在だった。

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いよいよ!!!迫ってきました、陶器市!

11月1日(木曜)から11月5日(月曜)の5日間。
益子町城内坂のじゃりん小径(じゃりんこみち)の右奥テントで
いつも通り?笑顔でお待ちしております♡

ココイコマップを貼り付けておきますね!
(注:ちなみにこのマップは前回のもので、
スタンプラリーに参加していた作家の名前が書いてありますが、
リストの他にも沢山の作家さんがテントを出されています。)
益子町観光協会のサイトは、こちら⇒ (Click!) 

最終日は午後2時過ぎか3時ぐらいには、
あちこちで片付けが始まりますので、
最終日にいらっしゃる場合は早めにお越し戴くのがオススメです。
あと、朝晩は冷えるので防寒具を忘れずに。

秋晴れの空の下、皆さんとの再会を楽しみにしています!!
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待ちわびていた『七尾旅人with梅津和時!!』ライブ@郡山。
ライブ前に「もしかしたら、ふらっと旅人さんが現れるかも」
なんて言いながら、
道端に佇むこの子達に「わ~なんだ~可愛い~!」と
抱きついて写真を撮っていたら、
隣に同じ被写体にカメラを向けるご本人の姿が!
言霊!?福島でばったりは3度目の奇跡であった。
初っ端から嬉しすぎた。

しかし壮絶な夜だった・・。
ライブを形容する言葉が未だに見つからない。
放心状態が続いてる。
無意識に封印していた感情の細部にまで届く音 
今まで経験したことがない感じー
新しい言葉を生み出すことでしか表現できないような。
だから、日々の暮らしをちゃんと生きようと思えた 
私なりの小さなメロディ。繋げていきたい。

七尾旅人『リトルメロディ』Youtube⇒ (Click!) 

耳をすませて 歩いてみれば
いつもの道も オーケストラみたい
遠ざかる 靴音や 虫たちの歌や
踏み切りをすり抜ける 自転車のきしみ
耳をすませて 僕と歩こう
いつものウソが 本当に変わる時
君を愛してると ささやく声や
月のうすあかりが 雲を裂く音
そしてみつけたよ 小さなメロディ
何千光年の遠すぎる時間を 短い歌で超えよう
くちずさむたびに 僕は変われた  
いつか かなえてみせるって 小さなメロディ
これから僕ら やり直せるさ  
どんな壁も越えてゆけよ 小さなメロディ
耳をすませて 僕と帰ろう
いつもの道は 天の川みたい
星と星の間 音は無いみたい
星座を描くように つなげられたら
君はみつけたよ 小さなメロディ
何億光年の遠すぎる時間を 短い歌で超えよう
くちずさむたびに 僕は変われた  
いつか かなえてみせるって 小さなメロディ
これから僕ら やり直せるさ  
どんな壁も越えてゆけよ 小さなメロディ
いつか僕らが ここを離れても 
きっと誰かが口ずさむ 小さなメロディ
LALALA... LALALA... 
君に手渡したいものは 小さなメロディ
小さなメロディ
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『演劇1』『演劇2』一日がかりで観てきた!
2時間52分&2時間50分の合計5時間42分。サイトはコチラ⇒ (Click!) 
元来じっとしているのが苦手な自分にとって、
学生のとき二本立て映画を観て、後悔した時以来の珍体験。
(この時は、一本観ただけでお腹が一杯になりすぎてしまい、
二本観る余裕がないまま観続けたので、せっかくの映画が損なわれてしまった気がした。)
ホントは1と2、別の日に観に行こうと思っていたのだけれど、勢いで全部観て、
監督と平田オリザさんのトークまで聴いてしまった!!
そして何だかぐわんぐわんの放心状態で帰宅。最近多いな、放心状態。。

はじめに『情熱のピアニズム』の予告が流れ暗転。会場はひっそりと静まり返った。
そしてゆっくりと本編の映像が流れ始める。音はない。
カメラは稽古場に向かうオリザさんを追う。そして無音のまま稽古が始まる。と、再び暗転。
会場は緊迫した空気に包まれた・・。

「これは!?」とおののいていたら、何と!しばらくして「機材のトラブルが発生した」とのアナウンスが。
そして、謝罪の放送の後、再び本編が音と共に流れ始めた。
しかし無音の映像と音のある映像では、こんなにも受ける印象が違うなんて。
予期せぬハプニングに初っ端から圧倒される。奇跡のはじまり・・。
恐らくこれはあってはならないミスだろうけど、偶然とは思えない伏線があるんだな・・。
隣の見知らぬおじさん(恐らく過去の監督の作品も観ている方)と思わず、
「演出かと思った!」と顔を見合わせて笑ってしまった。
こういう瞬間も映画館で映画を観ることの醍醐味。
でも見終わった後の興奮は、この比ではなかった。
昨夜は夢の中でもずっと思考が続いていた。

「台本は仮説に過ぎない。そこに真実があってそれを再現させようとすると、つまらなくなる」
というオリザさんの言葉。想田監督の観察映画に通じるものを感じた。
役者のそれぞれの役割。セリフ、一つ一つの動き、光、そこに配置されている物たち・・
途方もなく無数の関係性が織り成す、生モノの瞬間。
それは私たちの日常そのもの。それをどう捉え、関わり、伝えていくか。
観る前から、すごく沢山のヒントをもらえそうな予感がしていた。

監督の中に、被写体、この世界と出逢うこと、変わることへの圧倒的な愛情というか、
渇望みたいなものがなければ、この映画は生まれなかったんじゃないかと感じた。
その真摯な姿勢、決意みたいなものが、全編に流れていたように思う。

私にとって「アート」とは、世界を変えてくれるもの。
ものの見え方を根底から揺るがされて、分からなくしてくれるもの。
自分に欠けている新しい言葉を教えてくれるもの。
『演劇』はそんな作品だった。

芸術と文化の存在価値、社会、政治、教育現場との関わり。
アートが対峙せざるを得ない「お金」の問題。

時間が経てば経つほど色んな疑問が湧いてくるし、
捉えきれないものがあちこちに広がっていて、頭の中が支離滅裂になる。
監督はここで何を感じていたのだろう?何を観ていたんだろう?
平田さんの行動、言葉は何を意味しているのか。。
消化するまでに相当時間がかかりそうだけど、じっくりゆっくり味わいたい。

映像の持つ圧倒的な力、映像でしか表現できないものを体現してる映画は、
実はそんなに多くはないのでは、と思う。
音もナレーションも演出も大切だけど、それが説明的、
かつ誘導的であればあるほど、映像の力が逆に損なわれることが多い気がする。
昔から、一番惹かれるのは、始まりも終わりもないような、
「ん?あれ?あ、終わったのか・・」みたいな映画なんだけど、
『演劇』は静かでありながら、劇的なドキュメンタリーだった。

やっぱり映像って凄いなと思ったなあ。
そして演劇も・・・。人も・・・。

あと、これは職業病なのかもしれないけれど、
物作りをする上での共通の課題や、
一部を変えると全体が瞬時に変わるといったプロセスについても考えさせられた。
更に最近よくツイッターをしていても、翻訳の勉強になるなと感じることが多く、
『演劇』を観て、平田オリザさんのセリフに強烈なパンチを食らった。
すごかった。言葉の勉強になる・・・。これからいろんな舞台も観てみたい。
そういう意味でも、新たな世界が開けそうな予感がする。
テントを張った帰りに、師匠であり、私の益子の家族でもある鈴木さんの家に寄った。
やはりいつ足を運んでも、安らぐと同時に背筋が伸びる感じがする。
森がいつの間にか家の縁側まで広がってしまったような庭。
静謐でありながら生命力に溢れている。
何十年もこつこつと手をかけて創られた魔法の空間。

鈴木家では丁度、庭で障子の張替えをしていた。
裸になった障子の桟にオイルを塗って干し、乾いたら重ね塗りをする。
その様子を奥さんと眺めながら、縁側でお茶を飲んだ。
風もなく澄み切った空に鳥の声。
障子越しに見える山法師の紅葉。

何でもない日常の風景。
私を突き動かすと同時に守ってくれるもの。
‎10時から放送されたETV特集。震災後、縁のあった亘理町の農業支援の話。
苺農家の多いこの町で、塩害からの復興に奔走した若いビジネスマンの道程を追ったもの。

亘理の苺農家のおじさん。
家、財産、仕事、すべてを津波に流されて、農家を諦めようとしていたところに、
民間の支援が入って、トマト栽培を始める。
農業を再開してからの表情が本当に生き生きしていた。
生活していく、ってこういうことなんだ、と思った。
生きるための、生き甲斐となる活動。

「国が動かないなら自分が動く」と被災地に入り、
その「生活」支援策を実行に移す民間の人間がいて、その計画に一から賭けようとする農家がいる。
なのに、復興予算のカットで両者共に追い詰められるという現実。
震災から1年8ヶ月が経とうとしている今、自分に何ができるのか・・

事故後、姉は「正直、考えたくない、全部忘れたいと思うときもある。
でも忘れてはいけないと強く思う。」と言った。
実際に忘れないと生きていけない人たちも沢山いるはずだ。
だから自分みたいな境遇に置かれた人間が、ちゃんと見て、
ずっと覚えていられたらと思う。原発事故のことも被災地のことも。

それでも記憶というものは薄れていく。あの時の想い、恐怖感というものも。
ETVで亘理町の風景を見ていたら、忘れていた感覚が蘇って、
意識してるつもりでもやっぱり違うんだと感じた。
人は慣れて行く、忘れていく生き物なんだと痛感させられる。
姪や甥が大きくなった時にちゃんと伝えられる自分でありたい。

こうツイートした直後に偶然とは思えない出来事が。
私が山元町に行くきっかけを作ってくださった常連のお客様から、メールが届いたのだ。
奥様が山元町のご出身で、奥様のお兄様が山元町の役場にお勤めで、
当時、ボランティアが足りていない現状を教えてくださった。
現地ではお兄様に色んなお話を伺うことが出来た。

すごいタイミングだなあ・・。本当に驚いた。
現地で出逢ったおっちゃんおばちゃん、若者たち・・みんな元気かな。
無性に逢いたくなってきた。
年内に足を運べたらと思う。
先日観た『モンサントの不自然な食べもの』。
「安全性が保障されていない遺伝子組み換え作物で
世界の食卓を支配しようとしているモンサント社」の営みを描いたドキュメンタリー。
製作目的がはっきりしてる映画なので、全部を鵜呑みにはできないけれど、
誰もが問題意識を持つべきテーマだと感じた。

モンサント社の強力な除草剤「ラウンドアップ」に耐性を持つ遺伝子組み換え大豆。
その広大な畑の映像を観ただけで、身体も心も拒絶反応・・。
除草せず、自然の生態系を最大限に活かそうとする自然農の営みとは真逆の営み。
更に恐ろしいのは、映画で描かれているモンサント社の巨大な利権構造が、
日本の原発ムラを彷彿とさせるどころか、まるっきり同じだと感じさせること。
人類の生存に欠かせない自然環境、食生活を汚し、癌、
免疫システムの低下に繋がる可能性があるという部分まで酷似している。

遺伝子組み換え食物については、まだまだ知らないことだらけで、
賛否両論きちんと勉強したいと感じた。
映画のサイトには分かりやすい解説もある。公式サイト⇒ (Click!) 
監督インタビュー、上映会スケジュール、自主上映の案内なども。

映画と関連した情報あるかなと検索してみたら、
フードライターの浅野陽子さんが書いた、
日本モンサント㈱の研究用の農場の見学レポ発見
 (Click!) 
遺伝子組み換え食品についての考察などもある。

油なんかは、もう遺伝子組み換えのを知らず知らずに使ってしまっているんだな。
カリフォルニア州で来月、食品表示の義務化をめぐる住民投票が実施されるみたいだけど、
義務化は絶対に必要だろう。
一消費者として、安全性の問題はもちろん、生産者の方法論や倫理観を、
自分の暮らしの哲学・倫理観に照らし合わせて、共感できない所からは買いたくない。
これはあらゆる商品に関して言えることだと思う。

原発事故があって、余計にそういう意識が強くなった気がする。
生活の隅々において、本当に大事にしたいものを大事にできるような選択をしたいな。