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節分の今日、友人宅でご馳走になった桜色の恵方巻。
目にするだけで、身体の芯がホカっと暖まった。
色彩あふれる春の訪れを想像しつつ美味しく戴きました。
食ってほんとうに素晴らしい。
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「マグはとっても素敵で、あったかくて、
ジーンとして、なんだか胸がいっぱいになりました」

器を扱って下さっている
素敵なお店のオーナー、Qupuqupuの雅美さんが
「マグカップをお届けしたお客様から、
後日こんなお便りがありました!」と
わざわざその文面をメールして下さった。

うれしい

明日からも、器を手にしてくださる
まだ見ぬ誰かを想像しながら作陶しよう

ありがとう
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「フタバから遠く離れて」が来月日立と水戸で上映されます。
役場ごと埼玉に移転をした福島県双葉町の村長と住民の生活を
9か月にわたって静かに丹念に描いたドキュメンタリー映画。

日立は3月8日、水戸は20日。水戸では船橋監督のトークもあります。
日立の上映にいらした方は、半券で20日のトークにも参加できますよ。
共通チケット、前売り1000円。
詳しくは: (Click!) 
映画の公式サイト: (Click!) 

発起人のお1人の本田さんは映写技師で、
長年にわたって映画の魅力を多くのひとたちに届ける活動に
携わってこられている方。
このドキュメンタリーを観て、何とか上映会を開催し、
1人でも多くの人たちにも見てもらいたい、決して忘れてはいけない、
との想いだけで、「後先考えず上映を決めてしまった」とのこと。
私も同じ想いでいたので、本田さんとの出逢いは大きな励みになりました。
日立、水戸から、今後つくば、そして栃木にも繋げていきたいと思っています。

現在、実行委員会のお手伝いで、上映の宣伝・チケット販売をしています。
チラシが1000枚。ポスター10枚、前売りチケットが手元にあり、
益子のゾーファンチィ: (Click!) 
笠間のCafe R Hana: (Click!) 
同じく笠間のカフェギャラリー、かしゃま文化会館: (Click!) 
に置かせて貰えることに。笠間の2軒は火曜日以降からです。
お店の皆さん、ご協力心からありがとう。
前売りを予約したい方は、私に直接連絡くださっても勿論OK!

「周りに配りたい」「協力してくれそうなお勧めのお店があるよ~」
という方は、是非是非ご連絡ください。
チラシ・ポスターなどは、いつでも喜んでお渡しできます。山ほどあるんで!!
どうぞ宜しくお願いします。
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昨夜は益子のチィカフェ主催のMostly English Cafeに初参加。
文字通り「英語でしゃべらナイト」な月一イベントなんだけど、Mostlyだから、日本語混じりもOK!
翻訳をしていても英語で話す機会は皆無で、
My English Speaking Skillsは、年々Getting Rustyだったので、
少しブラッシュアップするべ!というわけで。

メニューもSo EnglishなFish and Chipsとか、
American BarにありそうなWrapとかChili Beansとか、懐かしい感じ。
初めてお会いする方ばかりで、ドアから誰かが入ってくると
"Hey! Hi!!"と挨拶&自己紹介の嵐。もちろんMusicも。それもLive Music!How nice!

いやーなんだか新鮮!と思いながら英語の錆び落としをしていたら、
AustralianのRobから”Your English is kind of Australian”と言われた。
実は以前にCanadian Friendに初めて逢ったとき
”Your English is Canadian!"と言われたことがあって、
「あのーわたしイギリスとアメリカにいたんですけど・・」と笑ってしまったんだけど、
恐らくずっとインターナショナルスクールに通っていて、
英語が第二言語の人たちと接することが多かったからかなと思う。
Robいわく、"Neutral English"なんだそうだ。
そして、”Not American at all!!"という彼の言葉には、明らかにそれを肯定する響きがあった。
今も昔も一般的にAmerican Englishは、Beautiful Englishとは思われていないのダ。

Englishを話しているときの私は、なんだか別人になる。
そんな話をCanadianのChrisとした。
日本の文化のほうが自分の価値観に近くて、
昔とは違って今は100%日本語が私の「ことば」なので、
英語を話していると若干違和感がある。
ただ、まるで違う人になったかのような感じも楽しめる余裕は出てきたのかも。
Chrisは20年も日本に住んでいるので、もちろん日本語が話せる。
だから、彼も日本語を話している時、そんな気持ちになるんじゃないかと聞いてみた。

"Language is cultureだから、すごい影響があるよね"と彼も言っていた。
言葉には、その国の文化が詰まっていて、その国の価値観が反映されているから、
話す方も、その文化を背負わされるというか。
でも、考えてみれば、自己統一性なんてものを求めてくる社会が多いけど、
それは、"in a way nonsense"で、一人の人間の中には色んなselfがあるし、
文化があって当然だと。I agreed with him completely.
言語に限らず、人は、色んなことばを持っているものね。
陶芸をしているわたし、とダンスをしている私なんて、全く別人だと思うし。
interactする相手によって、自分ってものはガラっと変わるし。

気軽に参加したイベントだったのだけれど、
久しぶりにEnglishで話して、あーこんな感じだったなあ・・と愛しい気持ち。
英語で話してると日本人も日本人というより、Asianっていうくくりで、
逆に、ここって日本だっけか、と思えてくるから不思議。
更に、高校卒業後、日本に帰国した頃の体験、
「自分のことば」がどこにもないように感じて必死だった学生時代を思い出したりして、
あの頃のもがいていた体験が、「ことば」という世界に魅了され続けている
今に繋がっているのだなと、感慨深く思ったりした。

中学・高校とイギリスにいて、日本に帰ってきた頃は、
日本語がおかしくなっていたし、漢字も中学2年生ぐらいのレベルで、
大学受験のために漢字ドリルを買ってきて練習した覚えがある。
そして、ずっと英語の環境にいたので、英語と日本語のちゃんぽん、
当時はJanglishと勝手に名付けていたけど、そんな変な言葉を喋っていて、
大学1年の頃は、講義のノートも、平仮名だらけの文章に英語が混じっていたりして、
割と熱心に色々書く方だったので、試験の前に「ノート貸して」と言われて、
貸したはいいが、「なんじゃこりゃ~分からん!!」と即効返却されたこともあった。
冗談抜きにニラを魚だと思いこんでいて、同級生に大笑いされたり、
他にも恥ずかしい思い込みが沢山あった。

今じゃ笑い話だけど、ただでさえ不安定な思春期というのもあって、
日本では当たり前とされているようなことが、自分にとって当たり前ではなく、
疑問だらけで、日本人なのに日本を知らなくて、日本語もおかしい。
居場所がどこにもなくて、中途半端な自分。
大学で何を勉強してどんな偉そうなことを言っていても、
経験値が追いつかず、実体のない言葉、観念ばかりが膨らんでいる自分が嫌だった。

だから、とにかく「自分のことば」を持ちたいと切実に思っていた。

紆余曲折あって、NYから帰国し、日本の里山に移り住んで陶芸を始めた頃に
やっとこさ私の母国は日本、そして、日本語こそが、一番近しく、
自分の身体と心にしっくり馴染む愛しいことばだと
迷いなく言えるようになったのだけれども。

と、ここまで書いて思ったんだが、昨夜は最後のHug and kissがなかったな。
次は、みんなと西洋式?のお別れをしましょう!と思った私でした。
(まあ、普段から友達にはHugしまくりだから、No Thanksと言われるかもしれないが。)

そして、これだけは最後に言いたい。
あの空間を育て続けているふみちゃんは素晴らしいと。
チィは、ふみちゃんの生みだした偉大な作品。
I truly respect her for being who she is.

Mostly Japanese with a little bit of EnglishなLong近況報告でした☆
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今頃になって庭の落ち葉を集めていたら、
あっ!!

毎年訪れる小さな出逢い。
愛しい。
昨日は「フタバから遠く離れて」の実行委員会ミーティングであった。
私は1回目は日にちを間違えて参加できず、今回が初めての参加だったのだけれど、
ほんとうに楽しく和やかな会で、魅力的な方ばかり。
この実行委員会だったら必ずや良い上映会になる!と確信。

ミーティング前に原電前デモが開催されていたのだが、
シュプレーヒコールを「原発やめろ、反対!」という「NO」=否定形ではなく
「いいぞ、脱原発!よっしゃ、自然エネルギー!」といった「YES」=肯定形に
変えていこうとしている、という話を聞いて、「お!いいぞ!!」と、
これまた嬉しくなった。

些細なことかもしれないけれど、「反対反対」と否定形の言葉を上げ続けるのは、
ある意味とても辛いことで、それだけで消耗する。
通りすがりの人も良い印象は受けなかったり、ドン引きすることも。
実は私も初めて参加したデモで見たプラカードにぐさっときたことがある。
言葉というものは、発する側にも受け取る側にも大きな影響を与えるものだと、
身にしみて感じる。
届ける方法を吟味するというのは、とても、とても大切なことだと。

更に、脱原発の活動だけでは、なかなか広がらず、
同じ面々が集まってばかりになってしまうから、小規模な映画の上映会などで、
色んな人と話し合う場を作っているという方のお話もあった。
私自身が昨年からそういう活動を始めたばかりだったので、とても驚いた。
いや、驚くべきことではなかったのかもしれない。

今、そういう感じ方をしている人が増えているように思う。
同じように色んな疑問を持ちながら活動してきて、壁にぶち当たって、
自問自答してきたひとたちが、これまでの何がいけなかったんだろう?と思い始めている。
シュプレーヒコールについても同じ。コミュニケーションの方法を考え直す、ということ。
脱原発という1点では駄目なんだ、というのは、私自身も感じてるところ。
この社会には、色んな問題があって、全部繋がっているから。

3.11から、もうすぐ2年。
前代未聞の災害と原発事故が起きた中で、私たちにできることは何なのか?
この現状をどう受け止め、変わっていくことができるのか。
あまりに無知だった自分を反省して、文献を読みあさったり、
市民活動や討論会、デモなどに参加しながら、自分なりに試行錯誤してきた。

そうやって1年経ったときに思ったのは、批判・中傷に終始するような活動では、
長続きしないということ。いずれ、みんな疲れてしまう。
真剣で純粋な人ほど、無力感に襲われたり、事の大きさに打ちのめされたり、
痛みに耐えきれなくなってしまう。
なかなか動かない現実を前にフラストレーションがたまり、内部分裂が起きることもある。

おかしいことをおかしい!と指摘したり、責任の所在を明らかにすることも、
反対や糾弾の声を上げ続けることも必要。
でも、いかに次の段階に移れるかー被災地の復興であれ、原発の問題であれ、
沖縄の問題であれ、「誰かの問題」ではなく、自分の「生き方」として捉え、
前向きなエネルギーに変えていけるかというところが要のような気がする。

悲しみ、痛み、怒りだけで人の心を動かすことは難しい。
「わ!面白そう!」「すげー何これ?」
「かっちょえー!!」「私も仲間に入りたい!」ってもんがないと。
人は皆楽しいことが好きだし、笑いたい生き物だから。

イベントの主催者側も参加を呼びかけられる側にも、喜びや、
ワクワクするような体験を必要としてる。それがないと続かないだろうし、広がらない。
多分、みんな傷ついているから余計に。
直接被害にあっていない人だって、意識してなくとも何らかの傷を負っている。
確信があるわけではないけど、そう感じてる。

だから、負のエネルギー、人間への不信感を増長するような場ではなく、
人ってすごいな、こんなに可能性があるんだ、
誰だって何かできることがある、という希望や、発見する楽しさを共有できる場を作っていきたい。
皆でアイデアを出し合って、未知の分野に挑戦していくこと、
それも社会を作っていく、って、本来は、
ものすごく楽しくてワクワクすることのはずなのだから。

震災・事故後、自分を救ってくれたのは、家族、友達、
被災地で出逢ったおじちゃん、おばちゃん、全国から集まったボランティアの面々。
そして、人が創った素晴らしい音、映像、造形。
こんな世界を一から創り上げることができるのが、人間なんだ、と思える瞬間に支えられてた。
一人ではできることに限りがあるけれど、いろんな人の手を借りて、
その人たちの創るものの力を借りて、繋げていければ良いなあと思う。

大変な時代に生まれてきちゃったな、と思うけど、
生き物としての創造力みたいなものを問われているような気がする。
発信の方法だって切り口だって、数えきれないほとあるはずで、その方法を考えて、
創意工夫を凝らしていくことが大切なのだ。それが今の私の課題。

そんな私も些細なことで撃沈・・ってことが多々あるのだけれど、
「フタバから遠く離れて」の茨城での上映、そして新たな仲間との関わりから、
沢山のことを学べそうな予感がしている。
出逢いってほんとうに不思議だな。このご縁にありがとう。