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木村秋則さんの無農薬イチゴを自作の器で。
なんて贅沢なんだろう。 木村さんの存在を知ったのは、2006年。 NHKの「プロフェッショナル仕事の流儀」を観たときだ。 極貧生活の中で、家族や周囲の農家との関係に悩みながらも諦めず、 8年にわたって試行錯誤を続け、 絶対不可能と言われていた無農薬のリンゴの栽培に成功された木村さん。 その時に受けた衝撃、感動は今もずっと心に残っている。 (木村さんに関しては「奇跡のリンゴ」「すべては宇宙の采配」 などの著作もあるので、興味のある方は、是非。) アベノミクス、金融緩和、株価上昇、円安・・巷では経済経済と騒がしいけれど、 私にはどこか実体のないものに思えてしまう。 それよりも、きょう、このイチゴを買わせて戴き、食した。 当たり前のことだけれど、そのことの方が実体がある。 里山に移り住んで陶芸や畑を始めてから、 慎ましい暮らしの中で、知恵を働かせて色んなものを手作りし、 生活を心から楽しんでいる人たちとの出逢いに恵まれた。 そして、自分の作るものを直接誰かに届ける喜びと共に、 作り手の感じ方や価値観に触れ、その人の作ったものだけでなく、 生き方自体に魅了され、買い物をする喜びを知った。 労働、生産、投資、消費。 その意味合いが一変した。 消費する、とは単にお金を使うことではなく、誰かの生き方を応援すること、 その活動を広げようとする「文化的な行為」なのだと。 それからは、料理するのも、カフェでお茶するのも、映画を観たり音楽を聴いたりするのも、 以前と比べようもないくらいワクワクする体験になった。 「経済成長」って、実はこういうことなのかなと、思ったりする。 労働することにも、消費することにも学び、成熟した意識、哲学を持つこと。 それを自分なりに心掛けていきたい。 大きな話になってしまうけど、日本中の人達が、そんな風に経済活動できたら、 この国は誰に対しても自慢したくなるような、素晴らしい国になるんじゃないかと夢想してしまう。 ネットによって、生産者と消費者との距離がぐっと近くなったし、 今までにない可能性が広がりつつある気がする。 木村さんのイチゴは小ぶりでキュッと身が引き締まっていて、 甘酸っぱく、どこか、はかなげな味がした。 木村さん、そして、繋げてくれた野原さん、ありがとう。 追記:ここで重大な訂正。私が戴いたイチゴは木村さんの指導を受けた、 愛知県豊田市の農業法人(株)みどりの里で生産されたものでした。 というわけで、感謝する方がもう一人増えました。みどりの里さん、ありがとう♡ |
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いよいよ来ました、陶器市~!!
日程は、4月27日(土)から5月6日(月)の10日間。 益子町城内坂のじゃりん小径(じゃりんこみち)の右奥テントで 皆さまをお待ちしております♡ 是非是非、声をかけて下さいね。 2012年版ですが、ココイコマップを添付します~ (注:前回スタンプラリーに参加していたメンバーの名前が書いてありますが、 リストの他にも沢山の作家さんがテントを出されています。) 最終日は午後3時r過ぎには、あちこちで片付けが始まりますので、 最終日にいらっしゃる場合は、早めにお越し戴くのがオススメです。 あと、朝晩は冷えることもあるので防寒具を忘れずに!! さ、ラストスパート頑張っぺー! |
「フタバから遠く離れて」の上映会で出逢った城 眞理子さんから、
一冊の本が届いた。 眞理子さんは、その熱意で日立と水戸のみんなを動かして下さった方。 大きな澄んだ瞳が印象的で、「素敵な女性だなあ。」と一目で大好きになった。 とても強い意志の持ち主なのだけれど、 いつもふんわりしていて、物腰も語り口も柔らかい。 私とは親子ほどの年齢の差があるのだけれど、どこか少女のようで、愛らしい。 フタバの上映会が終わった後、お手紙を戴いた。 桜の花びらが散りばめれらた絵葉書に眞理子さんらしい、スっと芯の通った筆跡。 とても嬉しくて、何度も読み返し、お気に入りの和紙の便箋で返事を書いた。 そして今日の小包。 中に入っていたのは「ケーテ・コルヴィッツの日記」。 第一次世界大戦で息子を、第二次世界大戦で孫を失い、 8歳の生涯を終えるまで、戦争に反対し続けたドイツの彫刻家、版画家の手記。 旦那様のご実家がある鹿児島に引っ越すことになり、 貯め込んだ本を整理していたら、 「これは古本屋に出すのも忍びないので」と、譲って下さったのだ。 学生の頃、本を買うと必ず見返しに日付と購入場所、当時の気持ちを書いていた。 眞理子さんも同じ習性の持ち主であったようで、 「18.July 2005 つくば美術館にて」と記してある。 そして、足を運ばれた「コルヴィッツ展」の新聞記事、 チケットとパンフレットが丁寧に添えられていた。 城さんは原発事故の前から、長年に渡って核のない世界をと活動されてきた方。 上映会の合間に話をしたとき、 「私は、もう先が長くないですから、バトンを渡す側。 こうして若い方たちと繋がることができて、心強い。」と、おっしゃっていた。 どんな時代にも人は生きてきて、沢山の想いが紡がれ、受け継がれてきた。 そのことを改めて大切にしたいと思わせてくれた、優しい雨の日の贈り物です。 |
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