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連続テレビ小説『ごちそうさん』
出征前の泰助の台詞。

「お母さんは一番大事なこと教えてくれたで。
生きてるいうことは、生かされてきとるということなんやて。
僕は、命の犠牲の上に成り立った命の塊なんやて。せやから僕の命は、擦り切れるまで使いたいて思てた。
僕、やりたいこといっぱいあるんや。
もういっぺん野球したいし、お酒とかも飲んでみたいし、くだらへんことで喧嘩して、
殴り合いの喧嘩とかもしてみたいし、お父さんみたいに自分を懸けて仕事をしてみたいし。
お母さんみたいに誰かをアホみたいに好きになってみたい。
僕は、僕にそれを許さんかったこの時代を絶対に許さへん。
僕は、この国を変えてやりたい。
せやから、這ってでも帰ってくるさかい、生き返らせてや。
あそこでまた皆でご飯食べさせてな。」

******

遠い昔ではなく、とても近い、自分の国の話。そして、今も世界中で戦争が起きているという現実。戦争というものが、どんなものなのか。それを体験していないからこそ、知る努力をしたいと思う。
食べ物だけじゃない、「命の犠牲」の上に、生かされてきたことを、受けとめられるように。
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「えこのはなうたのススメ」、2回目の放送は明日9日日曜の夜10時から茨城放送で。
県内ではRadikoでも、そして県外では、Raziko(dじゃなくてzです!)というスマホ、タブレット専用アプリでも聴くことができるそう。
RAZIKOサイト⇒ (Click!) 
収録の時の写真、1枚目は、「げっ!またやっちまった!?」の図。話が長くなりすぎて、尺を大幅にオーバー。。

震災から3年を迎えようとしている今回の放送では、福島のこと、震災から芽生えた想いについて、話をさせてもらった。

以前に、このラジオ出演で、閉ざされていた扉が1つ開いた、と書いたのは、姉たちが暮らしていた福島市大波のことを言葉にすること。

今でも大波の風景を思い浮かべるだけで、涙が溢れてしまう。
だから、気づかぬうちに、封印している自分がいた。
番組では、リクエスト曲と、えこさんとゲストのコラボ曲の2曲が流れるので、2曲目は是非、福島に関する詩を書いてほしい、と提案して頂いて、何度か試みたのだけれど、やっぱり言葉が出てこなかった。
それで、1回目と同様、学生の頃に書いた詩を持っていこうと決めていた。

でも収録前夜に思いがけず大波の夢を見て、その風景があまりに鮮やかな色彩に満ちていたので、起きたら、自然と言葉が溢れてきた。
慌てて、電車の中で、途中まで走り書きをして持っていったら、えこさんが、その消したり書き足したりしたぐちゃぐちゃの紙を見て、「清書じゃなくて、これが欲しいな」と言ってくれた。プロデューサーの谷津さんも「歌は後で収録できるから、完成するまで待ちましょう」と言ってくださった。

2人と繋がることで、自分の中で何かが動き出した気がする。
小さな変化だけど、私にとっては、とても大きな変化。本当に、ありがたく思う。

福島には、今年も足を運ぶつもり。
姉家族は​、子どもたちが大きくなるまでは、​帰れないと思うけど、姉達の分も、福島の、今を感じて分かち合えたら、と思う。
毎年お盆に大友さんが主催しているフェスティバルFukushimaに参加していて、盆踊りを踊ったり、ライブを観たり、温泉に入ったり ​・・。​
訪れる度に、福島に「ごめんなさい。これからもずっと忘れないから。必ず恩返しをするから。」と、祈りと誓いの言葉を捧げている。

不思議なことに、こんな状況でも、私は福島に行くと元気になれ​る。
ただ、ただ、好きなんだよなあ。
そこにいるだけで、生きるエネルギーがわいてくる。
これからもずっと、私たち家族にとって、 ​​そんな場所であり続けると思う。

*********

「うつくしま おおなみ」

鶏舎から続く細道を 幾度となく歩いた
傾いた母屋 小さな煙突
純白の季節には
縁側に茜色の干し柿

初めて触れた土
暖かくて
懐かしくて
雑草だらけの畑に
種を撒いたときから
東から日が上り、西の空に落ちていく
そのあいだにある すべて
なぜか 愛しく思えたよ

葉っぱを見ただけで
名前が言えるようになったんだ
さやえんどう
トマトにピーマン
カマキリの卵と
てんとう虫の足跡
寝ているアマガエル起こしたりして

遠くに浮かぶ山の連なり
木立を抜けて風が運ぶよ
呼び合う声 ヒグラシの歌
立ちのぼる森の気配 満ち満ちて

そこに立っているだけで
たくさんのことばが生まれたよ
先日、岡山で開催された3.11の追悼と脱原発の祈り。
岡山に移住した避難者の1人として、あっしーこと、義兄の芦川雄一郎が話をさせてもらった。
アーカイブがあったので、良かったら。 (Click!) 

3年前の3月12日、原発の1号機が爆発した後、彼は、軽トラのガソリンを軽自動車に入れ替えて、
ぎりぎりの燃料で、まずは妊娠2か月の姉と長女を実家の茨城の私の家へ、
そして、翌日更に千葉の実家へ、避難させてくれた。
道路が混雑していて、移動には12時間かかった。

姉家族は、犬2匹と猫4匹を飼っていた。
その時点では、とんぼ返りをして、犬と猫たちは、連れてくるつもりだった。
でも、翌日に3号機が爆発して、身動きが取れなくなった。
姉たちは、仲間や友達の無事を確認したり、電話で話し合ったり。

私は、僅かな情報でも集めようと、保安院や政府の記者会見が開かれる度に、
メモを取って、ネットでも調べてはみたけれど、聞いたことのない言葉ばかり。
命を守るための選択を、と思いつつも、現実をどう捉えたら良いのか、
どう行動すれば良いのか、分からなかった。

今、動物たちを連れに戻ったら、命が危ないかもしれない。
諦めるしかないのか。もう少し状況が見えてから動いた方が良いのか。
いつになったら、「見える」ようになるのか。
松戸だって、危険かもしれない・・。
ただ、姉の中には、動物たちを置き去りにするという選択は、なかった。
「私が悪いんだ」と号泣し、「自分が連れに帰る」と言い出す始末。
その姉を見て、当時4歳だった姪も大泣きした。
大抵のことは、一晩寝れば前向きになれるという、あっしーも、混乱しきっていた。

話し合いの末、彼は15日に福島へ動物たちを避難させるために戻る決断をした。
「あの時、決断できなかったら、一生のしこりになって、家族が崩壊すると思った。」
窓を開けないこと、マスクをちゃんとすること、
衣類は、戻ってきたらすぐに着替えてシャワーを浴びること。
万が一何かあったら、自分の命を優先すること。
それぐらいしか言えなくて、道中、励ましのメールを送り、最新情報を確認して伝え続けた。

今でも、あのときの選択が正しかったのか、ふと考えることがある。
でも、彼が、恐怖と闘いながら、家族の想いを優先してくれたことは、
一生忘れないし、これからも感謝し続けると思う。

実家には、もともと飼っていた猫が2匹いたので、家は動物だらけで、
慣れない環境の中、猫達は縄張り争い、犬達は狭い庭に繋がれて、
不安なのか夜通し鳴き続けた。
みんな寝不足で、ヘロヘロだった。

松戸も安全ではないと判断した後、
(その後、21日に放射能の雲が通った時に雨が降り、ホットスポットになった)
両親たちに動物たちを預けて、姉家族と私は、祖母のいる大阪に避難した。

大阪では、祖母や叔父母、従姉妹たちの優しさが身に染みた。
祖母が、昔のことは覚えているのに、最近のことはすぐに忘れてしまう状態で、
ニュースを見る度に、「原爆(原発ですよ・・)が爆発したんか!?
あんたらの住んでるとこ、大丈夫やったんか?」と聞くので、ただでさえぐったりの一同は、閉口。。
それでも、時間の経過とともに、祖母が繰り返す「ぼけ」に、笑いがこぼれるようにもなってきた。

ゆっくり寝て、食べて、精神的に少し落ち着いてきてから、
姉たちは、今後の選択肢について話し合いを始めた。
まだ福島に戻る希望を捨てきれず、それでもまずは、妊娠中の姉と娘の状況も考えて、
私たち家族に近い群馬県に移住する決断をした。
私は1週間ほどで茨城に帰り、姉たちはしばらく大阪で過ごした後、
原発の冷却が進み始めた頃に、荷物をまとめるため、1週間ほど福島に戻った。

姉から、「大波は、カタクリの花が咲いてるよ。何も変わらない風景・・。何で?悲しくなる。」と
メールが届いた。
あっしーは、まず、お世話になっていた大家さんや、
卵の宅配を頼んでくれていたお客さんたちを一軒一軒回った。
その度に目をはらして帰ってきたと、姉が言っていた。
鶏舎の鶏たちは、現地に残ることを決めた仲間が引き取ってくれた。
あっしーは、滞在を延長し、借りていた農園を返すために、
鶏舎や小屋など、自分で建てたものをすべて、1人で解体した。
その姿を想像するだけで、いくらでも泣けた。

出産後、姉たちは、今後の暮らしについて考え抜いた結果、岡山に拠点を移した。
そして、震災から1年半後に、やっと農業を始めることができた。

岡山の人たちに暖かく受け入れられて、こうしてイベントに呼んで頂き、
話を聴いてもらっている様子が見られて、とても嬉しかった。心から感謝します。
そして、福島で、今も不安を抱えつつ暮らし続けている仲間や、日本社会や、
自分自身の生活について、複雑な気持ちを抱えつつ、迷いながら、
たどり着いた今の心境を言葉にする姿を見て、改めて、あれから3年が経ったんだな・・と思った。

それぞれの、3年。

たくさんの失われた命、そして、今あるすべての命に、心から祈りを捧げたい。
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先月から、3回にわたって隔週で出演させて頂いている「えこのはなうたのススメ」、最終回は、明日の夜10時から茨城放送で。

今回の放送では、震災後に気づかされたこと、そして、映画の上映会などのイベントを主催するようになるまでの道のりや、想いについて話をさせてもらいました。
県内ではRadikoでも、そして県外では、Raziko(dじゃなくてz!)というスマホ、タブレット専用アプリでも聴くことができるそう。

リクエスト曲は、敬愛する大友良英さんの、大好きな一曲。どれにしようか悩みに悩んだ挙句選んだのは・・・・一体どれでしょか!?
はなうたコーナーでは、「波 海底」という学生の頃に書いた詩を、えこさんが歌にしてくれました。
えこさんの魔法には、毎回驚かされます。素晴らしい感性の持ち主・・。やっぱり人間ってすごいなあ。

先ほど、プロデューサーの谷津さんが、「いよいよ最終回ですね、」と、これまでの放送の個人的な感想を送ってくださって、あまりに暖かい言葉に思わず涙。
本当に素敵な出逢い。素敵な体験でした。
ありがとう、ありがとう。


*********


「波 海底」

海に宿る波
波に宿る海

涙よ 流れよ
流れて空気になれ
風になって空を舞い
雲になって広がり
雨となって
海へ降りてゆけ

泣きたくない

あの海に
他ならぬ海が在るように
この私に
他ならぬ私を見る

生きて行く

波は引いては押し寄せる
小さな
大きな
低く
高い
気まぐれで
強情な
エネルギーを
散らしながら

その深き深き源に
魚になって泳いでく

私の中に
小さく
大きく
低く
高く
気まぐれに
強情に
荒れ狂うもの

波におぼれて行く
おぼれて
沈み行く

波に宿る
海底に呼び戻されて

その引力に
1つ
1つ
1つになって