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知れば知るほど、つくづく訳の分からないもの、説明できないものが好きな方なんだなと思う。
型にはめるのも、はめられるのも、つまらない。
形ありきではなく、そこからはみ出てくるもの、予定調和ではないもの。
「自分」の力の及ばない場所、
違和感、異化作用。
そこでしか生まれない、何か。

そして「役に立たないもの」や「意味のないもの」に、心底愛着を持っている、そんな風に思える。

震災後、プロジェクトFUKUSHIMA!の活動を通して、私は大友さんに出逢った。
そして、震災後の世界との関わり方だけでなく、普段の生活の中で、どんな風に人と関わり、生きていきたいか。
そういった根本的な部分において、大きな影響を受けた。
大友さんの音楽や言葉に触れると、世界が優しく見えてくる。
そして、すべてが許されている、自分も、許すことができる―
そんな気持ちになる。
だから、生きているのが楽になるし、とても豊かな気持ちになれる。

構えがなくて、庶民的。
「あまちゃん」で大ブレイクして、超有名人になった後も、ぷら~っと街中を歩いていて、「大友さ~ん!」と気負いなく話しかけることができる。
自分の活動を「アート」とか「芸術」だとは考えてないという。
「そんな立派なもんじゃないし、そもそも音楽下手だし。笑」って。
今回のイベントも、ただただ大友さんに来てもらいたくて、みんなにも逢ってもらいたくて、あまり深く考えず勢いで始めてしまったものの、気づいたら初めてのライブ企画。
我に返って「ヤバいかも・・」とプレッシャーを感じていたら、
「きちんとやろう!って思わなくていいよ。その日、その場で、集まった人たちと生まれるものを大事にすればいいんじゃないかな?」と言ってくれた。

大友さんは小学生の頃に福島市に転校して、高校卒業まで住んでいた。
でも、福島のことは「ダサい」と思っていたし、正直嫌いだった。
全然馴染めなくて、ずっと東京に出て音楽をやることばかり考えていたという。
だから、自然と福島とは疎遠になっていった。
でも、震災と原発事故が起きたとき、彼は、真っ先に福島に行って、仲間のミュージシャンや、科学者の木村さんや、詩人の和合さんと共にプロジェクトFUKUSHIMA!を立ち上げ、震災から5か月後にフェスを開催する。
「新しい日常と、どう関わり、どう向き合っていくのか。それをみんなで可視化させたい。」
当初はもちろん、批判の声も挙がった。
何が大友さんをここまで動かしたのか。
そして、何故、「祭り」が必要だと思ったのか?

「福島を忘れるな!って、よく言われるけど、俺は忘れてもいいと思う。
人は忘れていく生き物だし、忘れるって、大事なことでもある。
失ったものが大きければ大きいほど、忘れなくては生きられない人たちもいる。
問題は、いかに忘れるか、じゃないかな。」

「『これが正しい。正しいことをやろう。』ってなっちゃうと、戦争に突き進んでいくことと同じ怖さがある。」

「1つになるというスローガンも、聴こえはいいけど、そうじゃなくてもいい。
そもそも1つになるって不可能だし、1つのメッセージやスローガンを伝えるのは政治の仕事で、文化の仕事は別のところにあると思う。」

「安易に共感するんじゃなくて、共感できなくても、まあなんか楽しくやれている・・・みたいなほうがオレは居心地いいし、それが現実的かなっていつも思う。人間関係には距離が必要だもん。共感なんてごくごくたま〜〜にあればそれで充分かなって。」

大友さんのイベント@益子は、6月28日土曜日。
トークセッションでは、この続きを伺いま~す!?
一部の上映会&トークの売り上げは、全額プロジェクトFUKUSHIMA!に寄付されます。先日お話したら、今年はかなりの財政難みたいで「カンパ宜しくお願いします!笑」とのこと。
一部の後、ランチ&交流タイムもあるので、是非ともご参加を。もちろん二部の音の部にも!!

企画の段階では、そこまで意識していたわけじゃないけど、一部と二部の内容、深いところですごく繋がっている感じがしていて、私も新たな発見ができそうな予感がする。
会場のみんなと、どんな時間が生まれるのか、今から本当にワクワクするなあ。
イベントの詳細は⇒ (Click!) 

最後に、大友さんが2012年に出演したNHKの「ようこそ先輩」の動画を。
これは、ほんとうに心にしみる番組でした。
動画⇒ (Click!) 大友良英さん-on-tv_music
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28日のOTOTOMO×大友良英@益子町駅舎。
 (Click!) 
当日、スタッフの半分以上が太鼓を叩くということで、どさくさに紛れて?二部のオープニングに少ーしだけ演奏することに。
普段一緒に活動しているアフリカンバンド、Djebenutsのメンバーも参加してくれるとのことで、早速練習してきた!
現場監督を務めてくれた友達の赤ちゃんが、微妙な演奏になると、あからさまに嫌な顔をするので、一同大爆笑。テーブルから皆を見下ろす姿が貫禄ありすぎて、みんなで「社長」と呼んでいた。
いやー楽しかった~~♪
やっぱ音楽ってサイコーだな。
当日、鳴り物を持って参加してね!みんなでアンサンブルしましょう~!
(注:大友さんのトークも素晴らしい!!ので、是非一部二部通しでのご参加を!!)
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ご近所の梅農家さんが、朝一で採れたての青梅を持ってきてくれた。
この瑞々しさ。見ているだけでうれしくなる。
早速真夏に向けて、クエン酸補給の準備!ということで、
梅ジュースの仕込み完了。
美味しくな~れ。
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震災後に出逢った大切な一冊。
学生のときから、読書しながら、心に残るページの角に折り目を付ける癖があるのだけれど、気づいたら、ほとんどすべてのページにつけていたので、途中からやめたぐらい、大好きな本です。
ハッとさせられたり、反省させられたり、人の心の奥深さに動かされたり。そして、生きるということ―世界や他者と関わるって、どんなことなのか―を自分自身の胸に改めて問いかけたくなるような、そんな一冊。

特に「カーネーション」や「その街のこども」、最近では「ロンググッドバイ」の脚本を手がけた渡辺あやさんとの対談は、何度読んでもしみる。
阪神淡路大震災、3.11、原発事故、そして福島。「内」と「外」のズレ。映画やドラマが、人の心や身体に与える影響の大きさ。色んな立場の人たち、それぞれの生活のなかで問題を抱えつつ生きている人たちに、届けるときに必要な「階段」「工夫」から、「祭り」の意味、地方と都市、戦後の「発展」まで、話題は多岐に渡っていて、2人の内省的かつ優しいまなざしに、最後までそっと寄り添われているような感覚。

小説家、文芸評論家の高橋源一郎さんとの対談では、「ノイズ」が主題になっているのだけれど、これがまた面白い。
音楽という分野における「ノイズ」だけではなく、私たちが常にさまざまな音―「ノイズ」の洪水のなかに生きていて、それを無意識に「意味づけ」して、必要なものとそうでないものを取捨選択していること、そして近代文明が社会のなかの「ノイズ」(「弱者」や「役に立たない」もの)を排除しようとする時代だったのではないか、という話にまで展開していく。
「解釈不能な状態こそが生きていくってことなんじゃないか。そういう状況が音楽的に生まれたときほど、自分は生き生きしてるような気がする。」

社会科学者の猪飼周平さんが書いた「復興の時間―福島の未来のために考えておくべきことについて」は、ネット上でも公開されている。これを読んだときは、目から鱗であった。同時に、何だかとてもあたたかい気持ちになり、涙が出た。
 (Click!) 
このなかで、猪飼さんは、現在の生活再建が最優先であることを前提としたうえで、「放射能汚染は必ず終わる」。長期的な視野で見れば、これは福島に限らず多くの地方が抱えてきた「高齢化・人口減少のなかで、どう生き延びていくか」、地域の魅力、文化を掘り起こし、住民ひとりひとりが自主的に参加する「自治」の問題だと述べている。
そして、そのためには大小様々なアイデアが生まれる開かれたコミュニティが必要で、地元の人間だけでなく、原発事故後、県外に出た避難者はもちろん、震災後福島に関心を持った多くの県外の人々が、復興に参加してくれるはずで、「かくいう私もその一人として、一番後ろからついていくことができればと思っています。」と締めくくっている。

そう。放射能汚染は、いつか必ず、終わる。福島=原発、のようになってしまった現実に、痛みを感じ続けていたけれど、これは震災前からの課題に取り組み続けるということでもあり、ある意味、福島は、この事故を機に、より豊かで味わい深い土地になる可能性を秘めているのだ。もちろん、福島以外の、たくさんの「地元」も。

ちなみに、猪飼さんは、原発事故の10か月後に、「原発震災に対する支援とは何か 福島第一原発事故から10か月後の現状の整理」を発表していて、こちらも必読です。⇒ (Click!) 

その他にも、社会学者の開沼さん、もんじゅ君、科学者の木村真三さんとの対談など、本当に盛り沢山。分野は違うのだけれど、無数の大小様々な川たちが、やがては海に行きつくように、すべてが繋がっている。

大友さんにとっても、この本は特別で、「今まで出した本の中で一番好きかもしれない」とおっしゃっていた。先日もツイッターで「今もこの本が震災後の自分にとっての長期戦の出発点だと思っています」と。イベント会場で販売する予定なので、是非手に取ってみてください。大友さんのサイン会もありま~す。最後に、この本のあとがきを。

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 震災後、僕にとっての福島は別世界になった。放射線がどうこうを言いたいのではない。ただ前を通るだけだった映画館が、自分も入れる場所になり、いきつけの店も出来、携帯には福島在住の友人の電話番号が少なからず入っている。それだけで街の見え方は変わってくる。
 僕らはノイズの海の中で生きているのかもしれないなって思うことがよくある。世界は大小さまざまな波が音をたてるようにざわめいているけれど、ひとつひとつの波にいちいち耳を傾けたり、時には目を凝らしたりする程度。それもあっという間に過ぎ去っていく。でも全体はいつもとらえどころないくらい沢山の音をたてていて、僕らはそれをうるさいとも思うことなく、というか、波音があることもほとんど気に留めることもなく生きているのではないかって。
 でも、ある日、そのざわめきがなくなってしまったらどんなだろう。ある日突然なら、だれでも異変に気付くに違いない。でも、すこしずつ、20年とか30年かけて徐々に消えていったとしたら、僕らは、そのことに全く気付かないのではないか。そして、もしかしたら、いつのまにか波音がなくなってしまった、ノイズを極力消し去った、そんな世界に僕らはいきていたのではないだろうか。
 震災によって世界がふたたびざわめきだしたときに、僕らははじめて、それまで世界から波音が消えかけていたことに気づいたのではないだろうか。
 この本は、失ってみてはじめて気づくような、そんな存在や物事について語り、書いた本だ。と同時に、失ったからこそ見えるものもあり、はじまるものだってあるということを書こうとした本でもあった。でも、書き終えてみて思うのは、これはもしかしたら、僕らがノイズを取り戻すための本なのではないかということだ。

「シャッター商店街と線量計―大友良英のノイズ原論」あとがきより