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8日間にわたる益子陶器市、楽しく終えることができました。
お越し頂いたみなさんに心から感謝申し上げます。

こうして顔の見える関係のなかで販売させて頂くたびに、
器は使い手があってこその器、
自然とのコラボでもあり、お客さまとのコラボ。
その余白に支えてもらっているのだなあと実感します。

今回も常連さんが顔を見せてくれたり、
友達が訪ねてくれたり、新たな出逢いにも恵まれ、
それぞれの人生を垣間見るような瞬間に、
ハッとさせられたり、心を動かされたり・・
ほんとうに泣きたくなるような、そんな時間を過ごさせて頂きました。

これからも土いじりを楽しみながら、
生活にそっと寄り添えるような器を作り続けていけたらと思います。
今後ともよろしくお願いします。

先日怒涛の片づけを終えて、今後数か月は制作と翻訳の2足の草鞋で過ごすことになりそうです。
皆さまも素敵な初夏を!
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今日、いつもガスの集金に来て下さる可愛らしいおばちゃん、大木さんが、
集金のついでにカップを見せてもらえませんか?と。
いくつか手にされた後に、このマグカップをお求め頂いた。
宅配のお兄さんも、ホームページ見たいです~!と言って下さったりで、
普段の日常のなかに、こうした交流が芽生える瞬間、とても嬉しい。
ありがとうございました!
久方ぶりにビビビっときた。
湯呑みを愛用させて頂いている小野正穂さんの飯碗。
とにかく側において触れていたい。
何時間でも眺めていたい。
にやにやしちゃうなあ、ワクワクしちゃうなあ。
とってもとっても特別な出逢い。
実物は写真なんかより何万倍も良いんだ。
はあ~。。うれしい…。
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岩崎さんの投稿に添付されていた写真
心にストンと落ちる文章に出逢った。
簡単な道のりではないけど、日々の生活のなかで、
それぞれが生み出すこと、まさに「生活」=生きる活動をすること。
私にとっても、これは大きなテーマ。
でも、ヒントはとても身近なところにある気がしてる。

FBでもシェアさせて頂いた際に、ご本人からお礼のメッセージが届き、
なんと、隣町に住んでいらっしゃることが判明。
しかも姉や義兄がお世話になっていたJVC(日本ボランティアセンター)の創生期に、
代表を務めていた方であった。
是非遊びに来てください、とのこと。思いがけぬご縁に恵まれて感謝。

というわけで、長文だけれども、添付させて頂きます。

岩崎駿介さんの投稿より
 (Click!) 

これから、どんな「社会」が待ち受けているのか・・・僕なりに「思考」を深めるために(その4)

先回までの投稿で、われわれが物質的に豊かな生活を送れるようになったのは、「近代科学技術」のおかげであると言ってきた。しかし、地球がいよいよ「有限」に達した現在、無限を前提とする近代科学技術はその役割を終え、われわれはいよいよ「新しい社会」、「新しい技術」を模索しなければならないと記述してきた。それでは、その新しい社会とは何か、人々は、どんな暮らしをしながら、「どんな喜び」を見つけることが出来るのだろうか。

いかなる思想、文化、文明も、基本的にはその「環境」によって規定されてきた。その環境を生き抜くために「思想」が生まれ、その思想に基づく技術や生活様式が決定されて、人々の「生命」を保証してきた。
いま、地球は有限であるという限界に達して、当然その価値体系や生活様式を変革していかざるを得ない。物質的に豊かな生活を「生きがい」としたこれまでの生活と違って、これからの世紀は何が「生きがい」となるだろうか。

まず言えることは、それは恐らく「もの」ではなく「精神」だろうということである。「もの」の成長はこれ以上望めないので、「心の充足」こそが求められ世界がやって来る。
物質的には、世界人口100億を越えても、それぞれの地域で地域循環を基本する生産方式によって、人々の生命はほぼ保証されると思うが、「生きる目標」、「生きる喜び」は別に設定されなければならない。

僕は、その時のキーワードは、「自分で作り出すこと」であり、これを「創造」と言ってもよい。誰かの命令に従うのではなく、自分自身で作りだすことに人々は夢中になると考えている。
作り出す対象は何でもよい、適正技術のさらなる開発でもいいし、花を愛でることでもいい、いうなれば、無から有を生じさせる何ものかを作ることである。それでも、生きるための条件、すなわち水と食料の確保、今よりも節約しなければならにエネルギー消費、そして廃棄物として捨て去ってしまうのではなく、何回も再生しながら利用する各種の資源など、さらなる工夫を重ねていかねばならない。
しかし、遠くから運ばねばならない贅沢なものは、とても手に入りにくくなると思う。

しかし、何よりも未来社会において特徴的なことは、「人と人との関係」である。
人と競争しながらも仲良くするという関係は、これからも続き、この関係は恐らく永遠に残ると思う。
しかし、今のように競争に負けた相手をただ見下すだけではなく、その人を追い込まない何かの「装置」が、より巧妙な形で生まれ出る可能性がある。それは、競争によってたとえ相手を打ち負かしても、もうすでに地球が絶対的な大きさに達しているので、共存の道、あるいは生態学的なつながりの道を再確認して進まなければ、勝者自身が生きてゆけないからである。
その意味で、いうなればこれから、ほぼ完ぺきな形で「平和な社会」がやってくる可能性がある。人類が求め続けてきた道、「競争と共存」とを同時に可能にする道を、ようやく切り開くことが出来るのかも知れない。

しかし、一番の問題は、そこに至る「道筋」である。地球は、これからいよいよ最終的な「競争の場」へと突入していく。過酷な「戦争」と過酷な「環境破壊」が予想される。今まで経験したことがない地球の「絶対限界」を前にして、人々は戸惑い、すぐには自分の「価値感」を変えることが出来ない。自分の「考え」や「価値体系」を変えるには、苦い「経験」が必要なのだ。
その意味で、僕はこれから数度に渡る「原発事故」や抜き差しならない「戦争」が待ち構えているように思うのだ。

人々が、それを前もって予見し、その危険を避けることが出来るか。皆のさらなる努力によって「適正技術」がより広く流布され、他人を足蹴にしなくとも生きられる社会を作ることは出来るだろうか。
その意味で、僕は、「右に習え」という風習が骨の髄までしみ込んでしまった日本人が、どう自らを制し、真摯な努力を続けることが出来るかが「未来」を切り開くことが出来るか否かを決定すると思う。
なお、写真は僕の著書「地球を生きる」上巻の表紙に使った絵であるが、数度の原発事故で焼け焦げている地球を前に、始めて人々は手をつなぐことが出来るという、僕がサイト「Anonymous ART of Revolution」において見つけた、予見的絵画である。