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6月19日に益子で、報道写真家、福島菊次郎さんを追ったドキュメンタリー映画「ニッポンの嘘」上映、
映画のプロデューサー橋本佳子さん×生前の福島菊次郎さんと交友のあった女優、木内みどりさんのトークイベント、そして、菊次郎さんの写真展と、盛りだくさんのイベントを主催します。
詳細はFBイベントページ→ (Click!) 

そのイベントに向けて読んだ菊次郎さんの著作「菊次郎と海」。
なんて言ったらいいか。言葉では追い付けそうもないけれど、紹介文を書いてみました。
とにかく、素晴らしい一冊。心からお勧めします。
是非会場で手に取ってみてください。

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「反権力を貫いた報道写真家」
「反骨の生涯を生き抜いた伝説のカメラマン」

メディアでは、このように形容されることが多い菊次郎さん。
私自身、映画や写真を観て、まず圧倒されたのが、表に出ないものを自分の目で観続け、傍観者としてではなく、生身の人間として現場に身を置き、関わり続けた姿勢と覚悟だった。

何が彼をここまで突き動かしたのか
どうやったら、こんな風に生きられるのか
或いは、何故、このように生きざるを得なかったのか-

「菊次郎の海」は、大正から昭和、平成に至る時代のなかで、14回住居を転々とし、”流転”の人生歩んだ福島菊次郎さんの半生記だ。
もちろん、菊次郎さんがレンズ越しに捉えた この国の歴史-戦中・戦後の体験と、その体験に裏打ちされた思想や疑問が、随所に綴られている。けれど、最も印象的だったのは、菊次郎さんという一人の人間の柔らかい部分が、全編に溢れ出していることだった。

例えば、漁師の家に生まれ、海辺で育った大正期の少年時代を回想する章。
2歳のときに父親を亡くし、育ての親だったお婆ちゃんに聴かせてもらった昔話。
食事のおかずを捕るために磯へ通い、釣り上げた魚の美味しさ。
山で夢中になって追いかけた虫、鳥たち。
記憶にない父親の骨を初めて見たときの鮮明な印象。
生死が紙一重の漁師の営み。
菊次郎さんのなかにある、自然や生き物に対する瑞々しい感性や畏敬の念は、この少年時代に育まれたのかもしれない。

妻と別れ、3人の子どもと共に東京で暮らし始めた頃のエピソード。
小学1年生だった娘の紀子さんが、いじめられて泣いて帰ってくると、「めそめそするな、やられたらやり返せ」と、男の急所を蹴る技を伝授。
学校の先生に、「難しい問題を教えようとすると、自分でやるからいいと拒む。それに男の子と喧嘩して泣かせている。可愛げがない。」と非難され、「“やったな”と嬉しくなった。」
このくだりには、思わず吹き出した。

プロ写真家として、「日本の戦後」を追い続けた菊次郎さんは、やがて国の在り方と自身の写真に対して希望を失い、62歳のときに無人島に移り住む決意をする。

旅立ちが迫ったある夜、3人の子どもたちを集め、こう語りかける。
「島に行ったら、いつ何が起きるか分からん。顔を合わせるのも今夜が最後になるかもしれない。
お父さんの身勝手で、みんなにさんざん苦労かけてすまなかった。
苦しいことや、悲しいこと、我慢ならなかったことがたくさんあったと思う。今夜はその話を全部聞きたい。」

無人島で始まった波乱万丈な自給自足生活と最後のパートナーとなる沙英子さんの出会いと別れ。その中で沸き起こる心の葛藤が赤裸々に綴られているのも、この本の読みどころだと思う。

「人を批判する者は、みずからもその資格を問われる。」
「僕は職能的なジャーナリストである以前に、この国の主権者であり、自立をめざす一人の人間である。政治屋や官僚たちが国家の前途を危うくする無法な行為に走れば、それを糾す権利と責任を背負っている。」

晩年、闘病生活のなかで、命を削るように実現させた「戦争責任展」や「写真資料館」の設立。80代で書き始めた一連の著作への想い。

これまでの歩みの中で、受けた傷、負わせた傷。
そのすべてを不器用なまでに頑固に引き受けていく姿に、1枚1枚の写真が重なり、奥行きが増していく。同時に菊次郎さんの柔らかい感受性こそが、その生き方の源だったのだと思うと、なんとも言い難い気持ちになる。

左右の中指と人差し指が、2センチ離れているという職人の手。
撮り始めたら5年、10年、30年の長丁場が当たり前だったという。
「長年カメラを握り締め、シャッターを切るうちに骨が曲がった。」
写真を通して、否応なく思想や人間性も変えられた、とも。

そして、写真家になって一番良かったことは、
「人間として成熟できたことです」