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1週間前、外の物置を開けようとしたら、あっ!!こんなところに!
翌日もいるかな?と思って見に行ったらいなくて、
残念に思っていたら、なんと今日、
作業場の窓から、小さな緑色の点を発見。
近づいてみたら、やっぱりいた!
この角のカーブのフィット感が気に入ったのかしら。
しかし、昨日からぐっと冷え込んできたから、
この子たちとも、もうすぐお別れだなあ。

ちなみに2枚目は、しばらく裏の網戸に住みついていたカマキリの雌。
おおーやっとパートナーが見つかったのか、
それにしても雄に比べて体格がいいなあ~。と
感慨深く眺めていたら、翌日は雌一匹になっていた(°д°lll)
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実家の愛猫2匹。
両親が旅行で留守にするため、しばらく滞在。

日替わりで可愛かったりブサイクだったりして笑える
愛嬌たっぷりのアメショー、ミミ、別名まんず。
(何となく饅頭っぽい)
大らかで、とぼけたところのある天然娘。
そして、野生が強く、外が大好き。
しばし脱走を図る、ノルウェーの森猫ハナ。
大の食いしん坊で、肉や魚は勿論、
洋菓子から和菓子まで何でも食う。
繊細で、神経質だけど甘えん坊。2匹は大の仲良し。

実家で溺愛されているため、どちらもメタボだったのだけれど、
最近ハナは腹を壊していたらしく、スリムに。
しかし、ミミは、相変わらずボンレス​(゚◇゚)~
親は「全然太ってない!」と言い張るが、
どう見ても肥満だろ!ということで、
滞在期間中はダイエットに挑戦だ!!ウキ❤ (もちろん親には内緒)
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台風一過。
作業場の電気を消して、外に出て、あ。

庭が明るい。
澄み切った空に、真っ白いお月様。
そして、吸い込んだ空気には、忘れかけていた冬の気配が。

年に何度か訪れる劇的な瞬間。

制作していた徳利にふさわしい季節がやってきた。
中秋の名月も、もうすぐ。
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雨巻のライブイベント、素晴らしかった。

奈良大介さんのドラム最高だったな。
その場にいるすべての人を音の渦に巻き込む、とことん開かれたエネルギー。
のびやかで力みがなくて、自由という言葉を体現している感じ。
アフリカンは下手すると、とっつきにくい音楽にもなりうるのだけれど、
奈良さんの奏でる音は、すべての人に届くことばのように思える。
お名前はアフリカンを始めた頃から何度も耳にしていたのだけれど、
その理由が分かった気がした。
思いがけずダンスにも誘われて、後で嬉しい言葉をかけてくれた。
ありがとう、奈良さん。

ウクレレ奏者のPhokaさん、佇まいの美しい方だった。
風が吹いて、カナカナの合唱が始まっては止み、
闇に包まれた木立から、時折ホトトギスの声が響く。
Phokaさんの1曲目は、「魔法のことば」
鳥肌が立った。

私が「魔法のことば」に出逢ったのは、学生の頃。
写真家の星野道夫さんの著作を通してだ。
NYに住んでいた時、旅でNYを訪れていた絵描きの女の子に出逢い、
そのことばが綴られている文章を贈った。
池澤夏樹さんが書いた星野さんの追悼文だった。
3.11の後、ずっと音沙汰のなかった彼女は私を探してくれて、
ブログ経由で、メッセージを送ってくれた。
それが、10数年ぶりの再会につながった。

そして、私が昨年星野道夫さんの魔法のことばを
ツイートしたとき、この絵の写真をツイートに添付してくれた。
「さっき発掘しました。98年か99年に書いたものです。」と。
出逢った直後、彼女はこうして、あの言葉を形にしてくれていたのだ。
この絵は、今、私の部屋の壁に飾ってある。

魔法のような巡り合わせ。
そう、世界はそういうふうになっているのだ。

冨田隆史さんのお話@雨巻。染め、大豆、自家製味噌の話から、
放射能、原発、対話、そして現在、未来の話へ。
脱原発や持続可能な暮らしを求めるなかで
それぞれが体験してきた言葉のハードル。
それを超えていくヒントがあちこちに散りばめられていた。

気づいたら、夜も更けていて、スタッフと出演者と、参加者数名が残った。
おにぎりと初めてお逢いした方のバースデーケーキ。
話は自然と、原発や憲法や選挙、学び伝える営み、手作りの暮らしへ。

3.11後ずっと、私の心は開きっぱなしになっている。
まだずっと若いころ、開きっぱなしになった瞬間、
閉じる方法が分からなくて、怖くなったときがあった。
だから、試行錯誤して、少しだけ閉じる方法を学んだ。
感覚的には、その時に近い感じ。でも、今は不思議と怖くない。
今まで生きてきた年月、出逢ってきた風景、人、生き物。
それらすべてが、凝縮され、導かれ、守られている感じ。

魔法のことば、とまではいかないかもしれない。
でも、それは確かに存在して、
音楽や映像から、造形、日々のささやかな営み、会話まで、
私たちひとりひとりに、それを翻訳する力があるのだ。
踊ってスッキリして家に戻ってきたら、入り口で、どでかい猪さんが帰りを待っていた。
山道でよく遭遇するんだけど、家の敷地内は初めてだなあ。
なんか、このシチュエーション、絵本になりそうだ~と吞気に思ってしまったが、
どいてくれないと車が入れないので、クラクションを小さく2回鳴らしてみた。
猪さんは、「あ、分かりました」って面持ちで森に帰って行った。
結構礼儀正しい・・。
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姉と弟
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稲の種籾まきを初体験
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巻き終えたら土を少しかぶせて、藁でカバー。保水して発芽を促す
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いい苗が育ちますように!
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<きゅうりちゃんの定植終了>
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<雑草の根が土を耕してくれるそう>
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福島から岡山に移住して2年目を迎えた姉家族。
自然農のお野菜の宅配も始まって、今年は畑の面積も増やしたため、この時期は定植で大わらわ。
というわけで、2年前まで家庭菜園で、なんちゃって自然農を実践していたわたくし、
陶器市後に、勉強も兼ねて農作業のお手伝いに岡山へ。

自然農は、「持ち出さない」「持ち込まない」農法。
「耕さず、肥料・農薬を用いず、草や虫を敵としない」という三原則がある。
けれど、同じ自然農でも手法は様々。話を聞いていると飽きない。
「余計な手を加えず、生態系の循環を壊さず、その力を最大限に生かす。」
初めて自然農の畑を見たときは、どこに何が植わってるの?と
驚いたけど、今は、色んな雑草や虫や微生物が仲良く共存している
この賑やかな畑を見ると、理屈抜きで嬉しくなる。

自然農と姉たちの生活については、以前にも少し書いたことが。
興味のある方、是非読んでみて下さい。
 (Click!) 

原発事故後、しばらく畑をお休みしていたけど、
今年は、色々工夫しながら「なんちゃって」を始めよう!
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「フタバから遠く離れて」の上映会で出逢った城 眞理子さんから、
一冊の本が届いた。

眞理子さんは、その熱意で日立と水戸のみんなを動かして下さった方。
大きな澄んだ瞳が印象的で、「素敵な女性だなあ。」と一目で大好きになった。

とても強い意志の持ち主なのだけれど、
いつもふんわりしていて、物腰も語り口も柔らかい。
私とは親子ほどの年齢の差があるのだけれど、どこか少女のようで、愛らしい。

フタバの上映会が終わった後、お手紙を戴いた。
桜の花びらが散りばめれらた絵葉書に眞理子さんらしい、スっと芯の通った筆跡。
とても嬉しくて、何度も読み返し、お気に入りの和紙の便箋で返事を書いた。

そして今日の小包。

中に入っていたのは「ケーテ・コルヴィッツの日記」。
第一次世界大戦で息子を、第二次世界大戦で孫を失い、
8歳の生涯を終えるまで、戦争に反対し続けたドイツの彫刻家、版画家の手記。

旦那様のご実家がある鹿児島に引っ越すことになり、
貯め込んだ本を整理していたら、
「これは古本屋に出すのも忍びないので」と、譲って下さったのだ。

学生の頃、本を買うと必ず見返しに日付と購入場所、当時の気持ちを書いていた。
眞理子さんも同じ習性の持ち主であったようで、
「18.July 2005 つくば美術館にて」と記してある。
そして、足を運ばれた「コルヴィッツ展」の新聞記事、
チケットとパンフレットが丁寧に添えられていた。

城さんは原発事故の前から、長年に渡って核のない世界をと活動されてきた方。
上映会の合間に話をしたとき、
「私は、もう先が長くないですから、バトンを渡す側。
こうして若い方たちと繋がることができて、心強い。」と、おっしゃっていた。

どんな時代にも人は生きてきて、沢山の想いが紡がれ、受け継がれてきた。
そのことを改めて大切にしたいと思わせてくれた、優しい雨の日の贈り物です。