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Guitar solos 1
階段という「あいだ」の空間から始まるサウンドインスタレーション。
登ってから、また降りてみたり、1つのスピーカーに耳を澄ませてみたり。
それぞれの来場者の佇まいを見ているのも楽しい。

Quartetsーキューブ状のスクリーンに演奏者の影が映し出され、それぞれの即興演奏が、ランダムに組み合わさり、音の振動から生まれるイメージが会場の壁に蠢く。
来場者は、思いに思いに周りを歩いたり、立ち止まったり、座ったり。
会期中一瞬たりとも同じ音楽は生まれない。

1つの場所からはスクリーンの2面しか見えないので、想像が広がる。場所によって聴こえ方も違う。
来場者がスクリーンを横切る度に、その人の影も浮かび上がっては消える。人々のかすかな足音、空気の流れ。鞄の鍵についている小さな鈴、体の姿勢、呼吸。僅かな変化で空間が動く。
すべてが生き物だ。
抱き枕を持参して、1日中座ったり寝転んだり、伸びたり縮んだりしながら、味わえたら極楽だろうに。

これまで抱いていた疑問。
ライブやコンサートでは、ほとんどの場合、前方にステージがあり、椅子に座らせられるか、ぎゅうぎゅうの立ち見。
音が流れれば身体を動かしたくなるし、その時によって音が届きやすい体勢というものがあったりもする。だから、欲を言えば、いろんな場所で、いろんな恰好で、体感したくなる。
制約があるからこその味わいというのもあるけれども、今回の展示は、そういう意味でも魅力的だった。

「オープン・スペース 2013」展 無響室展示 evala+鈴木昭男《大きな耳をもったキツネ》も心に残った。
無響室に一人で入り、暗闇の中で椅子に座って音を体験。4つの曲があり、京都府で野外録音された音たちの作品を選ぶ。
始まる前に靴が脱ぎたくなったので脱いだ。途中で後ろにびよ~んと身体を伸ばしてみたり、脚を泳がしてみたり。わあ、音の感じ方が変わる。面白い。
後ろに気配を感じたり、周りが海になったり、ふっと寒くなったり。あっという間の7分間。他の3曲も全部体験したかったな。無響室ではない普通の環境では、一体どんなふうに感じるんだろう。

1日の締めは、Filamentのライブ。
ぼんやり聴いたり、1つの音に集中してみたり、周りの人達を眺めたり。心地よさそうに船をこいでいる人たちもいた。
ノイズは胎内にいるときの音に似ている、という話もよく聞くけれど、お寺の境内でお経を聞いているような、お能を見ているときのような心境になる瞬間があったりで、不思議なものだなと思った。
天井を遊泳するように聴いてみたい衝動に駆られた。(そして実際想像したらちょっと笑えた)

会場を出た後は、すっかり音に敏感になっていて、世の中に溢れている音の洪水に戸惑う。
こういう感覚が好き。
展示は2月22日まで。
ホームページ⇒ (Click!) 
藤井光監督の「ASAHIZA」
淡々と静かに見せつつも、何重にも仕掛けがあるというか、ものすごく緻密な作品だった。
藤井さんは、6月末に益子で企画した「OTOTOMO×大友良英」で上映させて頂いた「プロジェクトFUKUSHIMA!」の監督でもある。
公式サイト⇒ (Click!) 

藤井監督の映像は静謐で美しく、独特の趣がある。
画面に映し出される映画館の廊下、古ぼけたリール、劇場で眠る人たち。
朝日座について語る人たちの表情。家の玄関の手すり。
彼らが、どんな生活や仕事をしていて、お互いにどのような繫がりを持っている人たちなのか。
そのほとんどについて、説明はない。

会話をしている人たちの映像でも、音がないと届き方が全く違う。
静止画にも音楽が被さっていたり、そうでなかったり。
その場の背景の音と共に音楽が流れていたり、そうでなかったり。
当たり前の事かもしれないけれど、こんなにも印象が違うんだな、と。
小さく、大きな違和感が随所にちりばめられている。
大友さんの音楽と藤井さんの映像は、底で流れているものが近い気がする。

最も印象的だったのは、画面に映し出された、あるおじさんの表情。
おじさんは、じっとカメラの方を見たまま、何も話さない。
しばらく沈黙が続いた後に、奥さんが「馬を手放してから元気がない」と。
そして、2人が初めて映画デートをした朝日座について語りはじめるのだけれども、奥さんが話している間も、カメラはおじさんの方を向いていたりして、その表情には、とても深く心に響くものがあり、何故だか泣けてきた。

観る側の想像力を引き出してくれる作品。
そして、ただ単に美しいだけではなく、1枚1枚の絵にPoetryと哲学があると同時に、安易なまとめ方や意味づけに映像の力でもって抗おうとする強い意志を感じる。
映像が暴力でもあることに真摯に向き合いながら製作されている方なんだろうな。

映画館が閉まる寸前に、監督と少しだけ話をすることができて、プロジェクトFUKUSHIMA!の時のお礼を直接伝えることが出来たのだけれど、とにかく作品が強すぎて、帰り道、ずっとボヤ~~っとしていた。

映像であれ音楽であれ、心を深く動かされるほど、少なくとも数日間は新たな「体験」や「情報」をシャットアウトしたくなるな・・。
急いで言葉にしようとすると消えてしまう気がするし。
ぼんやりと、少しでも何かが降りてくるのを待ちたくて、感じたくて。それでも結局追いつけないのだけれど。
というわけで、映画を観た1か月後にやっとブログにアップ・・遅い。。

ちなみにこの映画、水戸の仲間たちと共に上映する予定!!なのです。
一人でも多くの人に届けられますように。
また詳細が決まり次第ブログにアップします!

以下、少し長いけれど、サイトに掲載されている監督とプロデューサーの言葉。

藤井光監督
「原発事故を受けてこの地域の人々は〈被災者〉として描かれ続けてきました。被災地のイメージで覆い尽くされてしまった土地だと言えます。逆説的に言えば、メディアなり映像文化が、この土地の人々を〈被災者〉として固定化しているとも言えます。前作の『プロジェクトFUKUSHIMA!』を撮った時に、カメラの中に記録された人々の笑顔や冗談を映画の中でどう扱えばいいかわからず大半をカットしました。それは〈フクシマの物語〉として観客が期待するであろう〈リアル〉に矛盾すると考えたからです。当時の判断が間違っていたとは思いませんが、違和感も残りました。映画『ASAHIZA』に登場する方たちを美しいと感じられるのは、そこで描かれた人々が〈被災者〉のイメージから開放されたからなのかもしれません。朝日座のことを話し始めるとみなさんニコニコする(笑)。それで、今回の撮影中にプロデューサーの立木さんに言ったんです。非日常であろうと日常を生きる「普通の人々」を描かねばならない、この明るさというか、柔らかなものを表現することが、原子力発電所の事故によっていろんなものが破壊されていく現実に対する報復になるのではないかって。」

立木祥一郎プロデューサー
「この映画は、地震や原発事故についての映画ではありません。朝日座という劇場をめぐる人々の記憶をたどるドキュメンタリーです。何代もつづく商店があり、戦国時代から江戸にかけての騎馬武者の歴史を色濃く残す土地に暮らす人たち。そうした土地に根付いた人たちの暮らしにカメラは入り、朝日座についてのインタビューを行います。そしてまた、南相馬を離れた大きな街で暮らす若者たちにも、カメラを向けます。原発で移住したもの、震災とは無関係に街に出たもの。

そして、朝日座について語る人々を撮影した映画を、朝日座で上映します。映画に出演した人々やその家族、友人たちなど南相馬の人々に加え、東京からバスに乗って、朝日座と南相馬周辺を見学するツアーの人々が合流して、上映会が行われます。

朝日座という劇場についての映画を通じて、朝日座に、人々が集まる。それは、インタビューで語られる往年の映画館の賑わいを思わせる瞬間でもあります。歴史をもった映画館は、きびしい現実のただ中にある人々にとって、映画や街の記憶で人々の心を繋ぐ特別な場所であり、これからの人々の未来を照らす灯台のようでもあります。

ASAHIZAという映画を通じて、朝日座というひとつの劇場、南相馬という地域から、日本の、そして、人間の未来は、どこに向かうのか。答えのない問いかけが、この映画のすべてのディテールに内包されています。」

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上原ひろみ ザ・トリオ・プロジェクト@国際フォーラム。
音が際限なく細胞分裂していくさま。その強烈なエネルギーの渦に引き込まれ、次の瞬間、どこに連れて行かれるのか。怖いぐらい解釈不能な状態に。まさにALIVE!!! 掴み取る前にどんどん生まれていく、未知の世界。

上原ひろみさんは、存在そのもののエネルギーが大きすぎて、それだけでも圧倒的なのだけれど、ピアノに対する愛情がはちきれんばかりに伝わってくるライブでもあった。
前半終了後の休憩時間、パンフレットに綴られた「ピアノに永遠の片想い」という言葉に、ああ・・。
囁きかけているような瞬間があれば、戯れていたり、挑んでいるような瞬間もあって、変幻自在。
あんなに開かれた繊細な感性を持ちながら、よくその愛情に飲み込まれずにいられるなと思う。ピアノ、自分、周りの人たち、そして生きることの可能性を心から信頼しているんだろうな。

アルバムのどの曲もー大好きなSeekerも、Fireflyもーまったく違う生き物になっていて。スタンディングオーベーション後のアンコールがSpiritだったのも嬉しかった。大らかであったかくて、希望に満ち溢れた曲。
しかし、会場の1人1人にも、とてつもない集中力が求められるんだろう。演奏が終わった直後はぐったり。翌日もぐったり。翌々日もぐったり。そして今日になってやっとなんか書けるようになった。はあ~。

ちなみにライブでは演奏しなかったけれど、この曲も素晴らしいのです。
"Place to be" ⇒ (Click!) 
今宵もお月様がきれい。聴きながら眠りにつこう。
先日の土浦の花火にあまりに感動したので、スターマイン動画をシェア。
まずは、お世話になった野村花火の優勝作、「幻想イルミネーション」⇒ (Click!) 

何度見ても、カッコイイ・・・。
観終わった後、なんだろう、何かが圧倒的に違う、と感じた。
それを的確に表す言葉を私はまだ持ち合わせていないのだけれど、
とにかく洗練されていて、品格がある。
あの色彩の変化。緻密さ、繊細さ。
構成も細部まで、とことんこだわっているんだろうなあ。
野村マニアがいるのも納得。
この夏、そして今回の土浦で、いろんな花火を観させてもらって、
野村花火は引き算の花火なんだなあと思った。
社長が言っていた「余韻を残さない潔さから余韻(や感動)が生まれる」。
色んなことに通じる言葉だと思うのだけれど、今回の花火を観て、改めてハッとさせられた。

最大のライバルと言われている紅屋青木煙火店の「ILLUSIONS」は準優勝。
審査員も大変だろうなあ。どうやって、甲乙つけるんだろう。鳥肌ものです。
 (Click!) 

そして、心底あったか~い気持ちにさせられたのが、齊木煙火本店の「にじいろ」。
「花子とアン」の主題歌に乗せた、文字通り、色彩がとても豊かな虹色花火。
Youtube版は、著作権の関係で音がミュートになってたので、ニコニコ動画版。
とっても素敵です。
 (Click!) 
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8月15日、陶芸の師匠、鈴木秀男さんが永眠した。
67歳だった。

私にとって、人生の師であり、家族であり、唯一無二の親友でもあった。
訃報が届いた朝、私はフェスティバルFukushima! に参加するために、福島にいた。
もしかしたら、お迎えが来てしまうかもなあと、そう予感しながら迎えた盆踊りの日。
あの世とこの世が繋がる時間。
泣いては踊り、笑っては踊り、益子にとんぼ帰りをして、翌日16日に家族葬で送り盆。

共に過ごした最期の日々。
日常のような、非日常のような時間の沿線上。
あらゆるものの境目が曖昧に溶けたまま。
生前は言うまでもなく、最期の最期まで、抱えきれないほど大きなものを与えてくれた。
だから、1つずつすくい上げながら、生きていきたい。

四十九日を迎えた昨夜、土浦花火大会が開催された。
盆踊りに花火。
私は今も、護られているんだな。

土浦の花火は2回目。
野村花火、そして社長と共通の友人とのご縁で、桟敷席で鑑賞することができた。
全国の花火師さんたちが、尺玉、音楽に合わせた連発花火、スターマインと、
創造花火で日本一を目指す。
お客さんたちも目の肥えた方ばかりのようで、何重にも重なる円が少しでも乱れたり、
消え口が揃わなかったりすると、「あ~」とため息がもれる。
スターマインも、素晴らしかったなあ。
こんなにも多彩に繊細に、火で音を空に描くことができるなんて・・。
人の感受性、創造性は無限大。
そして、大好きな創造花火の部門では、「パーマが失敗 みだれ髪」なんてものもあり、
(公式パンフには花火師さんのコメント「こんなチリチリじゃ外を歩けないよ~(泣)」が。)
会場が笑いに包まれた。

80万人の人たちと共に見上げた空。
2時間半に渡る火の魔術。
色んな想いが、浮かび上がっては消えた。

フィナーレの後、隣にいた友人と顔を見合わせたら、お互い涙目で。
東京から出てきてくれた友人からは、
「生きるってことを盛大に祝っている感じがした」との言葉が届いた。
ほんとうに、その通り。
人生のすべてを祝福されているような時間だったよ。
花火師の皆さん、主催者の皆さん、特別な夜をありがとう。
買い物の帰り、たわわに実った稲穂が太陽に照らされてキラキラ光ってた。
もう稲刈りが始まったのか。
車内で流れる大友良英スペシャルビッグバンドの「新生相馬盆唄」。
「こと~しゃ豊年だ~よ~♪」ついでに今宵は「月がま~んまるだ~よ~♪」
無性に懐かしさがこみあげてくる。しみじみ、いい曲だなあ。
Youtube「新生相馬盆唄@フェスティバルFUKUSHIMA!納涼!盆踊り」⇒ (Click!) 

この曲が収録されているアルバム「ええじゃないか音頭」アマゾンのサイト⇒ (Click!) 
超お勧めです。東京でも11月1日、2日に池袋で大友さんらプロジェクトFUKUSHIMA!の盆踊りが開催されるそう。しかし、陶器市と丸被り!!行けなくて残念だけど、今年も福島で踊ってきたから、良しとするか~。

ちなみにYoutubeには、美空ひばり版相馬盆唄も!(4分15秒~)
盆踊りの既成概念、既にバリバリ崩してる感が。ノリノリやん!カッコイイ。
Youtube 美空ひばりのライブ映像⇒ (Click!) 
姉たちから届いたほおずき。
見ても良し、食べても良し。
初めて口に入れたのだけれども、甘酸っぱくておいしい!
食べ終わったら、部屋に飾ろう。

今晩は、それに加えて、もう1つの初体験。
以前にラジオ出演で知り合った大好きなえこさんのライブ@土浦へ!
このラジオのお話は、以前にブログに書かせてもらったので、良かったら。
「えこのはなうたのススメ収録へ」⇒ (Click!) 
「えこのはなうたのススメ2回目の放送」⇒ (Click!) 

私にとってえこさん、そしてプロデューサーの谷津さんとの出逢いは、姉たちが8年間住んでいた福島市大波とまた新たな次元で出逢えた体験でもありました。
やっと念願の生歌が聴けるなあ。とっても楽しみ。

「夕暮れと音楽と珈琲と」えこさんのサイト⇒ (Click!) 
場所:cafe Banraiken 土浦市中村南4-12-5小林ビル201
時間:18時〜
料金:¥2500ワンドリンク&ベーグルサンド付き
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NY時代の旧友、佐久間裕美子が本を出します。
「ヒップな生活革命」
 (Click!) 

書評にも書いてあるけれど、アメリカでも、「目に見える暮らし」を選択する人たちが増えているようだ。
私の周りでも、それを日々楽しそうに実践している人たちがたくさんいる。
口にする食べ物、身に着ける服、自分の部屋にあるいろんなモノたち。
その1つ1つに大切な人が宿っている。
生産者の生き方を応援することでもあるし、何より自分自身が豊かになれる。
暮らしのなかの小さな喜び、小さな革命が大きなうねりになりますように。

長い下積みを経て、ipad magazine PERISCOPE( (Click!) )を立ち上げ、とうとう本まで出版!裕美ちゃんのバイタリティーには、かなわんなあ。
多忙でなかなか逢えなくなっちゃったのが残念だけど、NYのブルックリンからアート、ファッション、ミュージックなど、様々な作り手の物語を、iPadとウェブで、多角的に伝えている彼女をこれからも応援したいと思う。皆さんも是非手に取ってみてください。

ちなみに裕美ちゃんについては、まだmixiをしていた頃に書いた文章があります。ちょっと長いけど、興味のある方は続きをどうぞ。
あんなに一緒にいたのにも関わらず、あまり写真を撮っていなくて、2人で写っているのは、この1枚ぐらいしか見当たらない。若いっ!!おまけに私だけ口がひんまがってる!ま、いっか。笑

歩んだ道は違うけど、彼女がライフワークにしようとしていることと、私自身が取り組んでいることが、繋がっている感じがして、なんだかとてもうれしい。
いつか裕美ちゃんともイベントやりたい!!

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2009年2月4日 立春

つい最近、NYで出会った友人が一時帰国して、
うちに遊びに来てくれた。
その頃、彼女は大学を卒業し、新聞社で働いていて、 偶然私が働いていたテレビ局と同じビルに通勤していた。
年配の男性ばかりの職場で、同世代の女子に飢えていた彼女。
エレベーターで出会った時のことを今でもはっきり憶えてる。
初対面なのに、いきなり「わ~!!!女の子だあ~っ!」って、抱きついてきたんだから。キョーレツであった。

そんな彼女は今フリーランスのライターとして大活躍している。
NYにいた頃から、フルタイムで新聞記者の仕事をしながら、フリーライターになるべく日本の雑誌に記事を書いたり、一時帰国しては限られた時間の中で色んな出版社に営業回りしたり、こちらが心配してしまうほど多忙であった。
当初、雑誌に依頼される仕事はレストランやカフェなど、流行りものの観光情報ばかり。
彼女が本当にやりたい仕事とはかけ離れていた。
それでも、地道に何年も下積みをして、色んな人たちとの信頼関係を育てて、やっと今、彼女は自分が温めてきたテーマに取り組み始めている。
全米をカメラマンの女の子と二人で車で横断し、出会った人たちのことを書いた出版前の記事を見せてくれた。

彼女の意志の強さ、なんの保証もない未来のために、時には弱音なんかも吐きながら、それでも諦めずにこつこつ積み重ねてきた時間の重さ。
自信を失いかけたこともたくさんあると思う。

一泊二日の短い時間だったけど、一緒に食事して散歩して、お茶して、ゆっくりじっくり会話できたこと。
かけがのない時間だった。
一緒にいるとホっとするのに、背筋が伸びて、しゃきっとする感じ。
話していると心が自然に言葉を紡ぎ出してくれて、彼女のことだけでなく、自分自身を新たに発見する。そして、さらに深いところに降りていける。

お互いがお互いの生き方を見つめ合ってる安心感と緊張感。
別れるとき、抱き合った途端に自分でも驚くほど、どぱ~っと涙が出てきた。
ほんとうに大きな財産。
恋愛に負けないくらいドキドキしちゃうよ。

ちなみに彼女の記事は、今月のcoyote(コヨーテ)に掲載されるそう。要チェックだゾ!

最近は、新たに素敵な女子との出会いがあったり、友達が私のことを想って、誕生日でもないのに、プレゼントを買ったよ♪と電話で言ってくれたり。
今朝は、器を注文してくれたお客さんからお礼の手紙が届き、自身の造形力の甘さにめげていた心が励まされた。
私の気づかぬところで、想ってくれてる人がいる。
行動してくれる人がいる。
そのことを想像するだけで、胸がいっぱいになる。
私も、日々、想い、行動することを大事にしたい。

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震災後に出逢った大切な一冊。
学生のときから、読書しながら、心に残るページの角に折り目を付ける癖があるのだけれど、気づいたら、ほとんどすべてのページにつけていたので、途中からやめたぐらい、大好きな本です。
ハッとさせられたり、反省させられたり、人の心の奥深さに動かされたり。そして、生きるということ―世界や他者と関わるって、どんなことなのか―を自分自身の胸に改めて問いかけたくなるような、そんな一冊。

特に「カーネーション」や「その街のこども」、最近では「ロンググッドバイ」の脚本を手がけた渡辺あやさんとの対談は、何度読んでもしみる。
阪神淡路大震災、3.11、原発事故、そして福島。「内」と「外」のズレ。映画やドラマが、人の心や身体に与える影響の大きさ。色んな立場の人たち、それぞれの生活のなかで問題を抱えつつ生きている人たちに、届けるときに必要な「階段」「工夫」から、「祭り」の意味、地方と都市、戦後の「発展」まで、話題は多岐に渡っていて、2人の内省的かつ優しいまなざしに、最後までそっと寄り添われているような感覚。

小説家、文芸評論家の高橋源一郎さんとの対談では、「ノイズ」が主題になっているのだけれど、これがまた面白い。
音楽という分野における「ノイズ」だけではなく、私たちが常にさまざまな音―「ノイズ」の洪水のなかに生きていて、それを無意識に「意味づけ」して、必要なものとそうでないものを取捨選択していること、そして近代文明が社会のなかの「ノイズ」(「弱者」や「役に立たない」もの)を排除しようとする時代だったのではないか、という話にまで展開していく。
「解釈不能な状態こそが生きていくってことなんじゃないか。そういう状況が音楽的に生まれたときほど、自分は生き生きしてるような気がする。」

社会科学者の猪飼周平さんが書いた「復興の時間―福島の未来のために考えておくべきことについて」は、ネット上でも公開されている。これを読んだときは、目から鱗であった。同時に、何だかとてもあたたかい気持ちになり、涙が出た。
 (Click!) 
このなかで、猪飼さんは、現在の生活再建が最優先であることを前提としたうえで、「放射能汚染は必ず終わる」。長期的な視野で見れば、これは福島に限らず多くの地方が抱えてきた「高齢化・人口減少のなかで、どう生き延びていくか」、地域の魅力、文化を掘り起こし、住民ひとりひとりが自主的に参加する「自治」の問題だと述べている。
そして、そのためには大小様々なアイデアが生まれる開かれたコミュニティが必要で、地元の人間だけでなく、原発事故後、県外に出た避難者はもちろん、震災後福島に関心を持った多くの県外の人々が、復興に参加してくれるはずで、「かくいう私もその一人として、一番後ろからついていくことができればと思っています。」と締めくくっている。

そう。放射能汚染は、いつか必ず、終わる。福島=原発、のようになってしまった現実に、痛みを感じ続けていたけれど、これは震災前からの課題に取り組み続けるということでもあり、ある意味、福島は、この事故を機に、より豊かで味わい深い土地になる可能性を秘めているのだ。もちろん、福島以外の、たくさんの「地元」も。

ちなみに、猪飼さんは、原発事故の10か月後に、「原発震災に対する支援とは何か 福島第一原発事故から10か月後の現状の整理」を発表していて、こちらも必読です。⇒ (Click!) 

その他にも、社会学者の開沼さん、もんじゅ君、科学者の木村真三さんとの対談など、本当に盛り沢山。分野は違うのだけれど、無数の大小様々な川たちが、やがては海に行きつくように、すべてが繋がっている。

大友さんにとっても、この本は特別で、「今まで出した本の中で一番好きかもしれない」とおっしゃっていた。先日もツイッターで「今もこの本が震災後の自分にとっての長期戦の出発点だと思っています」と。イベント会場で販売する予定なので、是非手に取ってみてください。大友さんのサイン会もありま~す。最後に、この本のあとがきを。

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 震災後、僕にとっての福島は別世界になった。放射線がどうこうを言いたいのではない。ただ前を通るだけだった映画館が、自分も入れる場所になり、いきつけの店も出来、携帯には福島在住の友人の電話番号が少なからず入っている。それだけで街の見え方は変わってくる。
 僕らはノイズの海の中で生きているのかもしれないなって思うことがよくある。世界は大小さまざまな波が音をたてるようにざわめいているけれど、ひとつひとつの波にいちいち耳を傾けたり、時には目を凝らしたりする程度。それもあっという間に過ぎ去っていく。でも全体はいつもとらえどころないくらい沢山の音をたてていて、僕らはそれをうるさいとも思うことなく、というか、波音があることもほとんど気に留めることもなく生きているのではないかって。
 でも、ある日、そのざわめきがなくなってしまったらどんなだろう。ある日突然なら、だれでも異変に気付くに違いない。でも、すこしずつ、20年とか30年かけて徐々に消えていったとしたら、僕らは、そのことに全く気付かないのではないか。そして、もしかしたら、いつのまにか波音がなくなってしまった、ノイズを極力消し去った、そんな世界に僕らはいきていたのではないだろうか。
 震災によって世界がふたたびざわめきだしたときに、僕らははじめて、それまで世界から波音が消えかけていたことに気づいたのではないだろうか。
 この本は、失ってみてはじめて気づくような、そんな存在や物事について語り、書いた本だ。と同時に、失ったからこそ見えるものもあり、はじまるものだってあるということを書こうとした本でもあった。でも、書き終えてみて思うのは、これはもしかしたら、僕らがノイズを取り戻すための本なのではないかということだ。

「シャッター商店街と線量計―大友良英のノイズ原論」あとがきより
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屠畜場での牛の解体作業。
恐らく会場の誰もが、画面に釘付けになったのではないだろうか。

1つの命が終わる瞬間に始まる新たな命の営み。

あまりに有機的で、躍動感に溢れていて、
残酷だとか悲しいとか、そんな感傷の入る隙間はない。
自然に対して常々感じている畏敬の念が、人に対して、芽生えた。

自然の営みは、すべてが生きることに直結していて、生死が見事に循環している。
無駄なものが一切ない。
それは、普段の生活の中で、意味づけや感傷や、
雑念にとらわれがちな人間の自分には、哀しくも遠い。
それでも、そんな自分の奥にも「自然」が存在し、ただの生き物に還れる場所がある。
だから、自然の美しさに触れる度に、私は懐かしさと、狂おしいほどの渇望を抱く。

いつだったか、太鼓の音色に初めて涙したときのことを思い出した。
体の芯の部分に熱が宿り、とてつもなく太く深い何かに引き戻されていくような。
その時と、同じ、感覚。

上映後、思いがけず監督がいらしていて、お話しすることができた。
とても瞳の美しい、凛とした方であった。